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ヴィクトール・フランクル 夜と霧③

夜と霧の続きです。
ためになるなあと思う部分を抜粋してます。

「教育者スピノザ」という項目に書かれている文章です。

「自分の未来をもはや信じることができなかった者は、収容所内で破綻した」とあります。

 生きる希望が見いだせなくなると、被収容者は精神的に自分を見捨て、横たわったまま動かなくなり、やがて死に至ると書かれています。

フランクルのいた棟の班長は、夢の中で1945年3月30日に収容所から解放されるという声をきいたそうです。彼はその夢を正夢だと信じていましたが、一向に戦争が終わる気配はなく、ついに3月30日を迎えてしまいます。班長は翌日の3月31日に腸チフスで亡くなります。

また、フランクルのいた収容所では、1944年のクリスマスと1945年新年のあいだの週に、かつてないほどの大量の死者が出たそうです。
これは、過酷さを増した労働条件からも、悪化した食料事情からも、伝染性の疾患からも説明がつかなかったようです。
この大量死の原因は、医長の見解によると、多くの収容者がクリスマスには家に帰れるという、ありきたりの希望にすがっていたことに求められる、と書かれていました。

極限状態では、絶望すると一気に免疫力まで下がるということでしょうか……

文字通り、人は生きる希望がないと生きていけないのだなと思いました。


生来楽観的な方、すぐに悲観的になってしまう方、人それぞれだと思いますが、
絕望の淵でわずかな希望の光を見つけられる(作り出せる)気質は、生涯大切にするべき尊い才能だと私は思うのですね。

仕事は嫌だけど、家に帰ったら好きなお菓子を食べようとか、何かしら希望がないとホントに生きていけないですよね。

一方、何か一つのものにすがって生きると、それがなくなったときの反動がえげつないので、気をつけなくてはいけないとも思いました。

希望がなくなると、人は自分の内面に救いを求めるようになるそうです。
例えばフランクルは、愛しい妻と会話をする想像をしたそうです。妻が生きていようが、あるいはすでに亡くなっていようが、関係なかったようです。

「希望」は、文字にするとたいそうなもののように思えますが、日常の小さな楽しみで充分だと思うのです。

 未来は本当に何があるかわからないです。
ずーっと雨でも、突然晴れることだってあります。今までずっと雨だからこれからもきっと雨が降り続ける(人生)に違いない。
なんて、
自ら希望を塗りつぶすことだけはしないようにしたいです。





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