真の頭の良さとは
受験や資格試験など様々な場面で勉強をしてきたが、元々勉強は好きでなかった。
僕が受験生だった頃は
・いかに単語を覚えるか?
・いかに公式を覚えるか?
・いかに助詞を覚えるか?
が勝負であった。
より多くの弾を持ってる方が有利で、持ってる人が受験戦争で生き残る兵士だったのである。
しかし、受験が終わっても継続して英語を勉強する人はいても古文や漢文に関してはどうだろうか?
今漢文の問題を解いてもただの漢字の羅列にしか見えないだろう。(これを生業にしてる人には申し訳ないが)
つまり覚えてないのだ。
忘れるために記憶してると言っても良い。
高校卒業から10年以上経ってるが、いつか自分の子どもに勉強を教える時が来た時にこれって何か役に立ってるのか?と聞かれたらおそらく僕は
😯
↑
この顔になってしまう
「知識は多い方が人生は楽しく豊かになるんだよ」
なんて当たり障りのないフワッとした回答をすると思うが、(実際はそこそこ本気で思っている)小中学生には馬の耳に念仏だろう。
そんなことよりも早く宿題をやっつけてNintendo Switchを起動したいに違いない。
そこまで高学歴ではない僕が受験のシステムに物申すのは少し図々しいが、昔から気になるのだ。
暗記作業中心の受験に何の意味があるのか?そりゃ物知りに越したことはない。しかし、そのほとんどは試験が終わったら忘れているのである。
弾の数ではなく、弾が少なくてもいかに知恵を出して生き残るか?最悪弾切れしても肉弾戦でも戦えるか?つまり暗記ではなく論述など地肩で勝負させる方が良いと思う。
考えてみて欲しい。暗記モノなんて忘れたら終わりである。すべてを記憶することは不可能だ。それは真の実力とはいえないのではないか。
この主張は僕のような平成初期に生まれた人などにしか共感されないのかもしれない。なぜならこれを書いてる今ではセンター試験も選択肢式でなく論述?などが中心に変わってきているようだ。(そもそもセンター試験という名前も変更になったみたいだ)そちらの方がよほど理にかなってると思う。
覚えてる覚えてないなどの運の世界ではなく、これこそが真の実力の世界だと思う。暗記作業ではなく、考える力。後の問題解決能力。
しょーもないまとめ方だが今後の日本に必要なのがこの力であることも事実である。
さて、自分の話に戻そう。
僕は記憶力が悪い。
スマホを手に持ちながら「スマホがないスマホがない」と探し回っている始末だ。現代の横山やすしである。自分で隠した食材の場所を忘れるリスばりの記憶力しかない。
特に歴史に関心がない上に暗記が命の社会の時間は絶望的につまらなかった。
特に世界史がひどく、全ての人物が
なんとかティウス2世?('ω')
何をした人?('ω')あれ?そもそも2世だっけ?2世と3世の違いってなんだっけ?('ω')
といった具合で成績も赤点のギリギリを彷徨っていた。
よく歴史をストーリーとして覚えればよいという理論があるが、それは強者の理論だ。
こちとらリスの記憶力では到底ストーリーなんて追えるはずはない。(個人的に面白くないから頭に入ってこないだけの話だが。)
入試の社会は日本史で受けたが、今思えば日本史などがなければもっと偏差値の高い大学に行けてたと思う。
と、完全な負け犬ならぬ負けリスの遠吠えをぶちかましたが、そんな僕のおすすめの勉強法を紹介したいと思う。
色々試したが、やはり「声に出して読む」というのが1番記憶の定着に良かった気がする。
教科書などを繰り返し音読するのだ。
予備校に行っていた時は、
音読ルーム
なるものがあって、そこで自由に音読をしても良いというものだが、「恥ずかしいから嫌だなぁ」と思っていた。
やはり皆考えは同じで利用してる人はほぼ皆無だった。
人によっては書いて覚える、ひたすら問題を解いて覚える人もいるが、この音読勉強法はこのリスの脳みそにも1番記憶に残りやすい勉強法であった。やはり目と耳で二重に追って確認することで自分の記憶にぐりぐりと単語や公式を刷り込むのだろうと確信している。
リスの戯言で余り説得力はないかもしれないが、これでも一応現役で大学に合格しているのでよろしければ参考にしていただきたい。
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