底辺薬剤師とエリート薬剤師

私は現在僻地に存在する医療法人グループの、そのまた辺境の離島の精神科病院で働いている。精神科病院は手術室もないし、がん患者等も居ないので、急性期病院と比べて大分楽に仕事ができる。
最近、当院では病院機能評価を間近に控えており、その対策を理由に数日間という短い期間だがグループ内の他の総合病院から応援の薬剤師が来た。以下その薬剤師をAと呼称する。

Aは病床数400床以上の、薬剤師も30人弱かかえる総合病院の薬局長である。年齢は40歳そこそこで、私より10歳弱年上である。

この数日間、私はAから話しかけられる度に、いつ知識不足によるボロが出るか不安で仕方なかった。Aが勤めている病院ではダヴィンチという手術用ロボットまであり、手術室すらない私の病院とは天と地ほどの差がある。当然求められる知識量も異なり、話の内容によっては、何を言っているのか分からない事もあった。

Aと話している時には普段仕事で使っている以上に頭を働かせ、私が以前半年間勤めた、前職の急性期病院での知識を思い出しながら、何とか会話についていった。

ある時Aはインヴェガという薬について、この薬の特徴は何かと私に問いかけた。私はコンサータという別の薬を服用しているのだが、コンサータはインヴェガと同じOROSという放出制御システムで作られている。それを知っていた私はさも当然といった顔をして、その事について話した。Aは私に対して、良く知っていると感心したようであった。

話は少し変わる。私は現在、パートタイム労働者なのだが以前は正職員として働いていた。人手不足の離島である事が理由で、当時ギリギリ20代であった私は、将来の薬局長候補として迎えられた。

自分でいうのもなんだが、年寄りや、公務員である配偶者の転勤で数年後には辞めてしまう人間ばかりで構成された現在の職場で、私はIターンして来た希望の星であった。グループ内のAの勤務先とは別の精神科病院に数か月間研修に行かせて貰った事もあった。その後、職場内のイジメやパワハラが理由で休職を繰り返し、今ではしがないパートに成り下がってしまったのだが。

しかし、上層部は私を薬局長候補にする事を諦めていないらしく、グループ全体の薬剤部長であるBから、パートから正職員に、そしてより上の地位に就くように説教をされた事もあった。私はやる気が無いので、神妙な顔をしながら心をシラケさせていた。イジメやパワハラがある職場で出世もクソも無いだろ、と思っていた。

こうして書くとまるで、「やる気が無いのに上層部が私を出世させようとしている件について」という三流なろう小説のタイトルみたいな状況である。もしもなろう主人公ならば、エリート薬剤師であるAを知識で圧倒し、薬剤部長であるBから崇め奉られる展開になるのだろう。

しかし現実はそんな甘い夢のようなモノでは決して無かった。ある日、病院機能評価関連の業務で来ていたAとBが休憩室で話している時に、私は一人でそこに行ってしまった。迂闊だった。AやBと会話をするハメになり、私は精神をひたすらすり減らされた。

その中でAの病院に最近設置された、ガンマナイフという放射線照射装置についての話になった。私は知ったか振りをして、前立腺がん治療の装置であると答えた。

その場は哄笑でつつまれる事となった。ガンマナイフとは脳腫瘍の治療装置の事であり、前立腺がんの治療装置はサイバーナイフという別の装置だったからだ。素人には区別が付かないかもしれないが、医療従事者からしてみれば常識レベルの知識であった。逆に言えば、私の医療知識はせいぜいが素人に毛が生えた程度のレベルだという事だ。

私は愛想笑いしながら、知識不足について謝罪し、その場から逃げる様に去ったのだった。Aから一目置かれたインヴェガの件についても、この事で無しとなっただろう。Bもコイツにはこの薬局は任せられないと思ったかもしれない。

実際の人生はなろう小説の様にはいかない。離島の精神科病院のパートである底辺薬剤師と、内地の総合病院の薬局長であるエリート薬剤師の間には、文字通り職場間の距離程の、絶望的な差がある。

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