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旅館で磨かれる「臨機応変力」はすべての仕事に共通する必須スキル 女将塾 酒井明子CHROインタビュー

「日本の温泉旅館を元気にする」を掲げる温泉旅館再生ベンチャー 女将塾で働くメンバーを紹介していきます。今回は、同社の人事最高責任者(CHRO)である酒井明子さんが登場です(記事の内容は2024/02/09取材時点での情報です)。

温泉旅館再生ベンチャーCHROの日々のお仕事

──2024年1月に、取締役CHRO兼東北エリア事業部長に就任されました。CHRO(Chief Human Resource Officer)、つまりは女将塾における人事の最高責任者というわけですね。

採用、人事異動、評価制度、研修などの育成、労務周り……人にかかわること全般を担当しています。CHROの肩書は社長から拝命したのですが、わたしからするとちょっと格好良すぎて、まだ人事企画部長兼エリア部長時代の名刺を配ったりしています。東北エリアには「安比高原 森のホテル」をはじめ4つの直営施設があり、それらすべての運営を統括するのがエリア部長の仕事です。女将塾でのキャリアは11年目に入りましたが、人事よりもエリア部長のほうが長いです。

温泉旅館再生ベンチャーCHROに至る経緯

──女将塾に至るまでの経緯についてお聞かせください。

旅行好きな両親で、ファミリー向けのリゾートホテルから秘湯の古びた温泉旅館まで、いろいろな宿泊施設に連れていってもらいました。子どもながら、「旅館やホテルで働いている人たちって格好良いな」と憧れを持っていました。学生時代は公務員になろうと法学部に通っていたのですが、就職を考える頃には当時流行っていた「まちづくり」に興味がありました。大学のある仙台の街がとても好きだったので、仙台をPRし、観光客の方に来てもらえるような仕事がしたいと、市役所に就職しました。

「観光の仕事がしたい」と訴え続けて異動がかない、通常2~3年で異動するところ、5年ほど観光課に在籍しました。その後税務課に配属され、「わたしがやりたいこととは違う」と感じましたが、よくよく考えてみると、本来市役所は税務課のような仕事が主流なのです。公務員のありがたさを知らない世間知らずだったため、未練もなくさっさと民間に転職してしまいました。

ひとくちに観光の仕事といってもさまざまありますが、わたしの場合は「自分で企画し、実施し、反応まで見届けたい」でした。つまり、全部自分でやりたい。小規模な旅館で女将になれば、全部できるのではないかと考えました。家族経営の旅館が多い中、わたしを女将にならせてくれる会社はないかと調べ、いくつか関連するところを受けてみて「ここなら本当に全部やらせてくれる」と確信できたのが女将塾でした。

修業時代(大学の友人と)
支配人時代

──女将塾に入ってからのキャリアをお聞かせください。

直営施設はまだなく、女将塾スタッフは皆、どこかの施設に派遣されていました。わたしが派遣されたのは、伊豆の「いさり火」という旅館でした。スタッフのうち半分が女将塾の社員で、現地で先輩が後輩を育てる形でした。いちサービススタッフとして入り、1年ほどでリーダーになり、3年目にマネージャーになって、シフトを考えたり本部会議に参加したりするようになりました。

慣れない仕事で疲れも溜まり、「3年経って芽が出なかったら辞めよう」と思い始めた頃に、新規案件が来て「支配人をやらないか」と社長に言われ、引き受けました。スタッフは年上の方ばかりで、未熟だったわたしはどう接して良いかわからず、ひとり悩んだりもしました。1年経ってやりたいことができるようになり、2、3年目で売上が伸びてきて、3年目になって自分に自信が持てるようになりました。

その頃には直営施設もいくつか増え、複数の施設を統括する「総支配人」になり、その後は地域全体を統括するエリア部長になりました。

──ご自身もキャリアアップしながら、女将塾が拡大していくのを目の当たりにしたわけですね。

女将塾の成長はめまぐるしく、わたしでも変化についていくのがやっとです。目の前のお客様に楽しんでいただく、目の前のスタッフに楽しく働いてもらうことに必死で、気づいたら11年経っていたという感じです。

三宅個人商店くらいの規模だった頃は、スタッフが皆お互いを知っていて家族のようで、飲み会でいろんなことが決まるくらいでした。忙しかったけれど、一致団結していて意思疎通がしにくいストレスはなかったです。女将塾が世の中に求められ、企業が大きくなっていくのは良いことだと思いますが、当時とは違う形でも、一体感を感じられるような仕組みができないか模索しています。

温泉旅館再生ベンチャーCHROのプライベート

──酒井さんも社長とともに、女将塾ランニングチームのメンバーですよね。社長が走り始めたのも、酒井さんの影響だとか。

公務員時代から走っていたんです。女将塾に転職したての、いちサービススタッフとして修行中だった頃も、練習はできていなかったのですが、どうにかして大会に出場したいと思い、中抜け休憩の間に地元の大会に参加しました。5kmくらいの短い大会だったのですが、練習もしていないのに入賞してしまって。日々走り回っている旅館の仕事は、良い練習になっていたんでしょうね。「休憩時間をオーバーしてしまうのですが、入賞式に出て良いですか?」と電話したことが思い出になっています。

はじめてのフルマラソン


中抜けで入賞した時にいただいた盾

女将塾ランニングチームで参加している中津川リレーマラソンには、岐阜の施設で支配人をしていた時に、スタッフの皆で出たいと思いました。ただ、開催されるのがお宿が稼ぎ時の日曜日。社長を巻き込み、会社の公的なイベントにすることで参加できるのではと誘ってみたところ、運良く社長がランニングにハマってくれました。「お宿 Onn中津川」の現在の支配人である山田総支配人は、大会に出るギリギリまでお宿で仕事をし、走り終えたらまた仕事に戻るといった具合です。大会が終わった夜には、皆で焼肉を食べに行くのが恒例の楽しみになっています。新しい人が入社すると、とりあえずランニングチームに誘ってみます。即断られてしまうことが多いんですけどね。

女将塾ランニングチームの皆と

トライアスロンに興味を持ったのもわたしが先です。伊豆の修行時代、当時のわたしにとっては高級品の自転車を買っていました。休日に自転車を車に積んでサイクリングに出掛けたりはしていましたが、水泳の練習のハードルが高くて先送りにしていたところ、いつの間にか社長がすごい自転車を買って、トライアスロンを始めていました。2023年夏に引っ越してきた東京の生活にもようやく慣れてきたため、いよいよトライアスロンの練習も始めようかなと思っています。

しまなみ街道にて

──お歌がとてもお上手ですよね。カラオケでは、酒井さんの後には歌わないと決めました。

親が声楽の教師だったこともあり、大学時代にはバンドのボーカルを務めていました。伊豆の別荘地には楽器を趣味にしている方々も多く、ジャズバーもいくつかありました。修行時代も、音楽好きの地元の方々とバンドを組み、ジャズライブで歌っていました。

伊豆のライブハウスにて

──多趣味で、プライベートが充実してますね。

どんなに忙しい時でも、プライベートをゼロにするのは嫌で、何かしら予定をねじ込んできました。20代の頃は、1日中ダラダラ過ごすこともあったのですが、夕方になると「何もしないで1日が終わってしまった」と罪悪感を覚えてしまう。思いっきり遊んで、クタクタになってビールを飲んでいるときがいちばんしあわせです。

温泉旅館再生ベンチャーCHROが描く未来

──酒井さんは女将塾や旅館での仕事を楽しんでいるように見えます。インバウンドがこれだけ盛り上がりながら、観光業の担い手が少ないことは残念ですね。

旅館の仕事はたいへんなこともあるけれど、実際にやってみるととても楽しいです。公務員時代よりも今のほうがやり甲斐が感じられるし、「自分で企画し、実施し、反応まで見届けたい」を実現させてもらっています。

支配人時代には、スタッフにイキイキと働いてもらいたいと思っていました。とても大事なことだけれど、人事の責任者となった今はそれに加えて、スタッフの人生が豊かになると良いなと思っています。お給料やキャリアアップも含めて、女将塾に就職し、働いてよかったなと思えるようにしていきたい。

若いスタッフには、会社の大人たちは想像よりもいろいろと考えているので、信じて身を委ねてくれても大丈夫だよと伝えたい。その信頼に応えられるように、大人たちはいっそう頑張っていかなくてはならないですね。

──女将塾では、新卒から最短5年で支配人を目指すのが花形のキャリアコースですよね。どんな魅力があり、そうなるにはどのような素養・スキルが必要ですか?

支配人は、任されたお宿を自分流に運営できる、格好良い仕事だと思います。プラン、食事、アメニティ、制服……、旅館は自由度が高いので、想像以上に支配人のカラーが出るものです。もし自分で経営しようと思ったら、銀行からお金を借ることから始まって、すべて自分で背負わなくてはならない。女将塾なら、会社にそのリスクを背負ってもらって旅館運営にチャレンジできます。

女将塾に転職し、伊豆で働き始めてから3年くらいは、法学部で学んだことはどこへいったんだろうと考えることもありました。支配人になると、契約や労務周りで活かせる知識も出てきたのですが、そういった目に見えるわかりやすいスキルよりも、突発的なことが起こった時に対応できる力、バランスをとる力が磨かれていることに気づきました。

旅館では毎日さまざまなことが起こり、かかわる複数の部署がそれぞれ違う意見を言う。それらを受け止めて「とりあえず今はこう対処して、中長期的にはこうしていこう」と判断することができるようになっていました。支配人になって発揮する機会は増えたけれど、いちサービススタッフとして働いていた最初の3年で磨かれ、培われていたスキルだと思います。

旅館に入るとつぶしがきかないなんて考える人もいるかもしれませんが、この“臨機応変力”は、どんな仕事をするうえでも共通する、基礎となるスキルだと思います。何が起きても「はいはい、またおかしなことがやってきました」と思えるようになります。どんな仕事も楽しんだもの勝ちですよね。

──すでに女将塾で働いている仲間と、これから働くことになるかもしれない未来の仲間にメッセージをお願いします。

わたし自身、なにかひとつ仕事をやり終えると「あー、温泉行きたい」と思いますし、実際に行って帰ってくると「行ってよかったな」と思います。日本人にとって温泉はすごく重要なものですが、年々減っていってしまっている。誰かが守らなくてはならないのではないかと考えています。

もちろん、お客様として楽しむ側にいるのも守ることにつながるでしょうが、実際に旅館を運営し、守り抜くスタッフも必要です。やり甲斐や達成感を得たい人には向いている仕事だと思います。


女将塾で働くということ


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