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初めての記事とは?  素朴な疑問から始まったひとりごとエッセイで辿りついた老後の楽しみ方

記事とnoteとは違うの?
初めての記事って、何が違うの?

よくわからない時は、調べるよりまずやってみる、書いてみようというのがわたしの流儀だ。
すでに何本もつぶやきやらnoteやらを書いているけれども、初めての記事投稿に関してはいつまでも投稿前になっている。これは初めの記事はここから、みたいなリンクから書いている。これで初めての記事が投稿されたことになるのかな?

noteをはじめてやっと2カ月。まだ、わかっていないことだらけだ。

満月  
(2012年5月撮影)

脳梗塞は発症から10年以内の再発率50%という恐ろしい数字を突きつけられてから、再発が怖くてせっせと散歩をするようになった。寒くなるにつれて悪化していった腰痛にも、散歩は効果があるらしい。正直いえば、腰が痛くて長く座っていられないし、寝ていても痛いので、歩くしかなかった。
腰痛に背中を押されて散歩だなんて、年寄りじみていてうんざりだが、そういう年寄りになってしまった。

ぷらぷら散歩をしていると、いろんなものを発見する。自然素材にこだわったクッキーと洋菓子の『シヅカ』も、お茶会の和菓子を作っている『玉川屋 惣八』も、散歩の途中で見つけたお店だ。


シヅカのショートケーキ


玉川屋惣八さんの花びら餅


先日は、女性ふたりで洋服の企画・デザインをして、百貨店などで販売しているという小さな洋品店を発見。たまたまセールをしていたこともあって、思わず衝動買いをしてしまった。

長い長い経済低迷期のなかで、店舗が次々と大手チェーン店に飲み込まれ、街の小さな個人営業のお店が年々、消えていく。以前は、街中で目を引かれ、一目惚れして洋服を買うなどということがよくあったが、そういうお店じたいがほとんどなくなってしまった。
新しい洋服が欲しくなったら、ユニクロに走るかネットで探す。誰もが着ているようなものしか手に入らなくなって、オシャレする気も失せていた。
だから、思い切って洋品店のドアを開け、わたし好みの洋服を見つけたときはとてもうれしかった。
店主の女性もそう年齢が違わない、世代感覚の似た方で、話をしていても楽しかった。
そんな楽しいお買い物の直後に見つけたのが、神応のいきいきプラザだ。
実は、大きな袋を下げて歩いているうちにトイレに行きたくなり、公共の施設っぽいから大丈夫だろうと入ったところが、いきいきプラザだった。
昭和で言ったら「公民館」。地域の集会所だ。

家からいちばん近い豊岡いきいきプラザは選挙の投票所になったりするが、予約して部屋を借りることもできるらしい。その一室を借り、マンション管理組合の総会が開かれたこともある。古い建物で会議室は和室が多い印象だ。

神応という地名も初めて知ったが、行きつけの病院(飲食店みたいだけど)の近くにあって、小学校の跡地らしい。近隣の何校かが統廃合されて、区立の小中一貫校ができたから、そのとき廃校になった小学校が、建て替えられ、いきいきプラザとして生まれ変わったようだ。
正確には「神応ほっとプラザ」というらしい。

まだ新しい白木の木目の美しい建物で、1階、2階は保育園、入り口を入ると奥に人工芝が敷かれた運動場が広がっている。3階は学童クラブ、4階と1階に高齢者向けのいきいきプラザと区民協働スペースなるものがある。体育館もある。前身が小学校なだけに、かなり広くて設備も充実しているようだ。

ここに、60歳以上限定!の講座やスポーツ教室がいろいろあった。
高齢化社会で、そういう場所はあちこちにあるだろうとは思っていたが、将棋や囲碁をするところだとばかり思っていた。女性向けなら編み物や刺繍のような手芸的なもの。塗り絵とかちぎり絵とか? 折り紙とか?
近隣のお年寄りが集まるから、昔からその土地に住んでいる顔馴染み同士のコミュニティができていて、他所者には入りにくい場所という先入観もあった。
ただ、東京という街は余所者だらけの集合体だ。代々受け継がれてきたコミュニティはない。そんな環境のなかで集まってくる高齢者というのはどんな感じなのか興味はあったが、まだ、わたしなどが参加するのは早過ぎるとも思っていた。

ところが、偶然にもトイレを借りて入ってみたおかげで、何か講座を受けてみようかという気になった。それほどトイレが清潔で、高輪ゲートウェイ駅のトイレに通じる白木っぽさがオシャレだったのだ。

高輪ゲートウェイ駅のトイレ
あまりのオシャレさに、思わずパチリ 笑


今日(2月7日)受けた講座は、健康のためのボイスレッスンだ。
以前は、飲み会の二次会、三次会ともなるとカラオケで歌ったりしたものだが、いつからか声が出なくなってしまっていた。
バセドウ病後に陥った橋本病(甲状腺機能低下症)のせいかとも思ったが、内視鏡で診てもらったら、声帯に薄いポリープがあるらしい。
ちょうど歌を歌うのによく使う音域だけが掠れてしまう。年々声が出にくくなって気がついたら全然、声にならなくなっていた。
1オクターブ下げて歌ったり、男性の音域の曲なら歌えたりはするけれど、気持ちよく歌えなくなってもう何年にもなる。たまには鼻唄くらい口ずさみたいけれど、声が出ないので口笛を吹く。仕方ないと受け入れてはいるものの時々はせつない。

ひょっとして、このボイスレッスンで声が出る手がかりになるんじゃないかという期待もあった。定員10名のところ今日は5人。やっぱり皆さん、わたしよりはお姉さま、おじさまだった。

結論からいうと、声を出すボイスレッスンではなくて、声を出すための基礎というか素地になる、呼吸がしやすい体作りみたいなことだった。
30代くらいの大柄で、でも、雰囲気やしぐさがかわいらしい先生で、鎖骨の上くらいのところのコリをとりつつ、上を向いて息を吐きながら肩甲骨をほぐしていくというような、体操のような指圧のようなレッスンだった。なんども何度も、声を出しながら息をはいているうちに、体がポカポカ温かくなって、肩こりが解消していった。背中が楽になって、肩が軽くなって、息が吸いやすくなっていた。これはこれでなかなかいい。とても気持ちがよかった。

体育館では、バトミントンや卓球の講座もあるようだ。そもそも、いきいきプラザの老人イメージを覆す最初のきっかけになったのは、脳梗塞直後に見つけたヒップホップ教室だった。
いつかダンスをやってみたい。そんな思いがずっとある。生まれつき股関節が悪かったので、股関節周りが固くて上手に動けない。そもそも運動音痴でもある。そのくせ下手の横好きで、体を動かすことがしたかった。

本気でヒップホップ教室にいくつもりだった。脳梗塞の退院直後で、そこから毎日元気と体力を取り戻していく予定だったから、半月後にはヒップホップくらいできるだろうと思ったが、甘かった。
午前中で電池切れになるわたしが、午後の講座まで持ちこたえられるわけがない。日に日に運動量が増えていくなかで、できなくなっていたことや現時点での自分の限界がわかっていった。

そんなわたしでもできそうだったのが、ボイスレッスンだったのだ。真新しい鏡張りの集会室で、初めてのことを教えてもらう。なかなか贅沢な時間じゃないか。しかも無料だ。


雪溶け   春はすぐそこ
(苗場にて 2012年撮影)

仕事がなくなってから、どうやって生きていけばいいのかわからなかった。どう時間を潰せばいいのか戸惑っていた。
大学入学からときをおかずして週刊誌のアルバイトを始めたから、45年近くずっと仕事のスケジュールが生活の真ん中にあった。その合間に何をするか、何ができるかで1日の時間が流れて行った。
いつも真ん中にあった仕事が、わたしの場合は少しずつ少しずつ消えていく感じになったから、自分のなかで区切りがつけられなかった。まだ、仕事があるつもりでもいた。

まぁ、また何か依頼がくるということも100%無いわけでもないだろうが、果たしていまの集中力で、仕事を時間内にやりおおせるだろうかという不安もある。

もちろん間口は開けておくつもりだし、noteは原稿書きのリハビリ、練習の意味もあって、いつでも準備はできている状況にはしておきたいとは思っている。

それでも

仕事を一切考えることなく、やってみたいことにどんどんチャレンジできる自由がようやく手に入ったのだ。
その自由を思う存分、満喫しよう。
仕事ではなく、やってみたいこと、興味のあること、楽しそうなことを一日の中心に置く生活。

なんだか楽しくなってきた。
悪くないじゃん、高齢者もさ。

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