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街の書店を考える②〜本屋がなくなるのは、誰のせい?

以前、書店が好きで、図書館もよく利用するということを書いたが、それにはあるきっかけがある。

仕事を辞め、子供を産み育てるうちに、自分のためにお金を使うことができなくなった。
それは物質的にではなく、精神的なものだ。
「働かざるもの食うべからず」自分の稼ぎがない以上、自分が自由に使えるお金はない。と、勝手に思い込んでいた。

働いていた時のように、乗り継ぎ駅の大型書店にふらっと立ち寄り、興味ある本をとりあえず買うという日常は、ここで終わった。

それでも本のある場所に行かないのは考えられない。どの本屋よりも、市の図書館が近かった。
子供を連れて、もしくは旦那に頼んでも短時間で帰られる。図書館は自分に戻れる大事な場所だった。

図書館のサービスを使い倒し、そのうち本を買わずとも生活は成り立った。現物や内容を見てから買いたいので、ネット書店はほとんど利用しない。

さて、昨今言われる「書店がなくなる」という問題には、様々な要因が絡んでいるらしい。
人口減、ネットの普及、利益率の低さなど、方々に悩みの種があり、その中でも図書館は“無料貸本屋”と批判の的となる。

では、書店がなくなるのは、誰のせい?

かくいう私も、生活の変化からとはいえ「本が買いたくても買えない」自分のような本好きが、本屋をつぶしているのではないかと、背負いすぎるくらい負い目を感じてしまっている。

ただ、自分の本は買えなくなったが、その飢えを埋めるかのごとく、子どもの絵本はよく買った。と、自分をなぐさめている。

こんなふうに、人それぞれに理由があり「本屋に行けない」「本が買えない」「本が買いたくても買えない」のだとすれば、いくら街の本屋にカフェを付けたとて、それが支援になるとは思えない。
ただ、書店が生き残る良策があるならば、本好きとしてはぜひ実現していただきたい。

本に関わる問題を多角的に考え、丁寧に解きほどいていかなければ、これからの方向性は見えてこないのではないだろうか。

そう思いながらいろいろと考えを巡らすが、いち本好きにはどうにも知恵も力も足りない。
本を取り巻く環境がよりよいものになるよう、今は切に願うばかりだ。

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