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ツバメ夫の北信田舎暮らし:俳句とエッセイ 002

五年待ち結びしリンゴ猿無情

2年ほど前に俳句作りを始めたとき、2〜3句ほど作ってみた後、すぐに自分の俳号を考案した。それは高山村楽。高山村を楽しむ人という単純な意味を込めた。単純だが音の響きが好きだ。我ながらかっこいい名前を付けたものだ!

北海道生まれ、北海道育ちの私は、スキー場でピカピカのスキーウェアや、高価なスキーなどでガチガチに身を固めながら、ふらふらと V字ボーケンしかできないスキーヤーを見かけた時、つい苦笑いを浮かべていたものだが、俳句では彼らと同じことをしているではないか。ふらふらV字ボーケンの高山村楽だ。

ところで、高山という名の地方自治体は全国に三つもある。あの有名な飛騨高山こと岐阜県高山市。次に、群馬県高山村がある。そして、私の渡り鳥 移住先である信州高山村こと長野県高山村

この信州高山村は知る人ぞ知る美味しいりんごの生産地だ。長野県の広範な地域がりんごの産地ではあるが、信州高山村のりんご生産者とその信奉者によると、標高が高い高山村は昼と夜の寒暖の差が大きいため、りんごが糖分を蓄え、美味しいりんごになり、近隣地区のりんごとはひと味違うのだとのことだ。個人的には甘みが強いりんごよりも、酸味バランスがしっかりしている緻密な味のりんごが好みなので、この意見に対しては微妙な立場だ。

りんごのシーズンになると頻繁に村の共撰所までりんごを買いに行く。そこでは主に贈答用の高級りんごが全国配送サービス付きで売られているが、私の目当ては、家庭消費用のB 級のりんご、時には、1000円で袋詰め放題、少々難ありのC級りんごだ。早生品種から晩生品種までの多様な品種が秋の深まりとともに、入れ替わりながら売られていく。

さて今回投稿の句だが、この句を作った状況を説明したい。私の隠れ家であり、秘密基地であり、農作業場小屋であり、庵である古い物件は高山村の奥まった標高800 メートルの限界集落にある。毎年一人、二人と一人暮らしのお年寄りが亡くなるたびに、一軒、二軒と空き家が増えていく。そんな土地だ。

ここで農業をするには二つの障害に対応していかなければならない。一つは、標高が高すぎて、十分に気温が上昇しないため栽培できない作物があること。次に、野生動物による農作物被害を防がなければならないこと。

私は5年前、この家の庭にリンゴの苗木(紅玉と受粉樹のアルプス乙女)を植えた。「標高800 メートル ではリンゴは育ちません」とアドバイスされた。確かに苗木の育ちも良くないし、ろくに花も咲かない状態が続いた。それが、今年になって、ついに、たくさんの花を咲かせ、5〜6個のりんごの結実を見た。地球温暖化の後押しもあってか、第一の障害は克服された。だが第二の障害、野生動物によって、そのリンゴはことごとく食害されてしまった。猿である。

読者はこの句を見て、作者がひどく落ち込んでいるだろうと想像されるかもしれない。でも、実はそれほどでもない。自分で育てたりんごの木から、りんごをもぎ取ってそれを食べるという小さな企画は1年先延ばしになってしまった。ただそれだけだ。

むしろサル達が跋扈して、農作物に悪さをするような土地に自分がいることの巡り合わせ、縁に喜びを感じているくらいだ。都市では絶対に味わうことのできない、野生の世界と背中合わせに暮らす面白さがある。来年は何としても猿どもを出し抜いて、りんごをもぎり取って、ガブリと食べてやると燃えている自分がいる。

それを実現させるための方策を考えると、年甲斐もなくワクワクしてくる。

道端でかぼちゃを食らう子猿かな

猿は子猿のときから、兄猿や親猿たちによって、このように実践訓練を受けているので、一筋縄ではいかない相手ではあるが。

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