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推しとは、理解とは、私の話※美しい彼シーズン2の3話を見て考えし事※ネタバレあり

わからない
完全に理解はできない
でも理解しようとするのをやめたくはないんだよ。

これは数年前に私が「推し」等とは軽い言葉で表現できないほと尊敬している方について、私と同じくその方のファンの方が以前ブログに綴っていた言葉だ。

このブログを読んだ時、私は頷きながら同じ事を思っていた。

好きだ
尊敬している
ただ、当たり前だが私はエスパーでもなんでもない。
数々の世界最高得点を更新し、五輪を連覇し国民栄誉賞を受賞した若く美しいその人について私ごとき只の愚民が完全に理解などできるわけはない。

けれど私はその人について分かりたいと思う。
少しでも
1ミリでも

同じ考えを持ち全てのことに寄り添えはしないかもしれないけど、少しでも寄り添いたいし分かりたいと思う。

ただ、当たり前だが明後日の方向に思考を巡らせて分かったようなフリをしながら分かることから遠ざかり他者を攻撃したり
逆に分かろうとしながら全てを全肯定するのは思考停止だとも思っている。

だから、いろいろと考えてしまう。

私は大切な推しについて良いファンだったのか
分かったつもりになりながら推しを苦しめてはいなかったか。

つらかった時、1ミリでも寄り添えていたのか
真に寄り添うとはなにか。

昨今私のいる界隈では思想の違いから我こそが真に推しを理解しているいいや推しはそんなこと望んでいない等と不毛な争いが発生したりする

その度に私は真に寄り添うとはなにかを考えてしまう
同じように推しを理解しようとする気持ちは同じなのになぜこうも考えが違うのか?

さて、昨日夜、ドラマ美しい彼シーズン2第3話を見て私は朝まで寝れなくなった。

美しい彼、高校時代から神のように崇めて未だ推し活的な追っかけをしている美しいキング、清居と交際する平良は交際するに至っても尚清居を理解したくないという。
人間が違うから違う場所にいるから

自分を理解してほしいと願う清居は泣きながら激昂する、そして言う

「お前は片想いが好きなんだろ」

「ごめんな、お前のこと好きになって」


理解を
完全に理解するのは確かに無理かもしれない
ただ少しでも、1ミリでも理解しようとか理解したいとか、寄り添いたいとか、例え交際してなくても好きなら、
推してるなら、そう考えるものじゃないのか?

と、推し活的な視点でもハテナマークが私の頭に浮かんだ。

完全に理解はできないとしても
理解しようとするのをやめたくはない。

それがファンの想いというか、願いではないのか。

そして私は美しい彼を、平良を、清居を、私の尊敬する大切な羽生結弦さんを、少しでも、1ミリでも理解しようとまた考えを巡らせる。

今日はこれだけで一日が終わりそうだ。



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