見出し画像

悩む我らを救いたまえ

この記事は、幼い子供や、少年時代、青年時代、大人たちが社会に疲れた時に、今どのように考えるべきかという気づきになるようなエッセンスの羅列ができればと思って書きます。

若い人は悩む。悩んで成長するのだが、自分はどの段階で悩んでいるのかを考えることで、何か楽になることがあるだろうと思います。

日常生活に存在する「神様」に対する理解と、そこからどのように現代社会が脱却してきたかを知ることで、社会に対するものの見方を知ることができる。ということを目的にしています。

カミサマは存在します。

福澤諭吉「ひびのおしえ」
ここでは「ごっど」を教えています。
子供に「神様とはなにか」ということを教えることは大切です。

でも、神様の言う通りにしてもうまくいかないじゃないですか。
私は他人がうらやましい。あの人みたいにキレイじゃないし、あの人みたいに頭が良くないのです。

嫉妬が世界を作る。のです。

人は一人では生きていけない、わけではありません。
でも、一人で生きていても、成長しません。あの人みたいになりたいという嫉妬「ルサンチマン」が得られませんので。

隣の人がうらやましい!隣の村がうらやましい!隣の町がうらやましい!俺たちより良い暮らしをしやがって。
世界は、そのうらやましいという感情「ルサンチマン」があるから発展してきました。それ自体、嫉妬の言葉を聞く人は、それを他人をうらやむ汚い感情と感じる人もいるかもしれませんが、嫉妬の感情そのものは、汚いものではありません。
人々の持つ「ルサンチマン」のパワーから、かつて王族は支配構造を作り、民衆のルサンチマンから「王族の支配構造」は壊されて行きました。
神様の構造もそうですね、教会の構造も、壊されて進化していきます。

神は死んだ

そして「神は死んだ」とニーチェは言います。
世界の近代化の中で、ニーチェは宗教的、哲学的観念が滅亡したと主張しました。

ニーチェによれば、神・霊・魂といった虚構によって、栄養・健康・住居といった人生の重大事が軽んじられてきた。神が死んだ(そして神を冒涜することも出来なくなった)からには、最大の問題は地上やからだを冒涜することである。ここでニーチェは、「超人」とは地上的・身体的な人間であると述べている。一方で、超地上的・超自然的な事柄や魂といったものは、不健康な嘘だとしている。

wikipedia 神は死んだ

ニーチェがツァラトゥストラに語らせたこと。

ニーチェの著書「ツァラトゥストラかく語りき」は、四部構成になっています。
ツァラトゥストラは、四部構成であるので、彼自身の成長が見えます。私たちはそれらを読み、自分の次の成長の助けにすることができます。
第一部
 
ルサンチマンに疲れ、ツァラトゥストラは故郷に戻って山に入っていたが、神が死んだとわかったので街に戻る。途中、聖者に会う。
「街に戻るのはやめなさい」
ツァラトゥストラは思う「あいつは神が死んだことを知らないのだ」
 街では、綱渡りの曲芸師を見る民衆でにぎわっていた。
ツァラトゥストラは彼らに向かっていう。
「神は死んだ、人間は人間として人間の可能性を追い求める世界が来た」
だが、民衆(末人)にはわからない。綱から落下して落命した曲芸師を背負って山に戻る。
 民衆に話すことをやめたツァラトゥストラは友に、[超人]についての説明をする。「ラクダ獅子幼子」という順の精神の変化によって、新しい世界を獲得すべしと友人に伝える。
構造の中で構造を守るラクダ→構造を壊す獅子→新しい構造を作りあげる幼子。市民道徳というのは、人をラクダでいさせ続けるための嘘である。
ルサンチマンは人をつきうごかす。人は成長すべきである。という。
人はみな、自律した人間になるべきだ。
 それらの考えは次第に世に広まった……かに見えた。

第二部
 
ツァラトゥストラが話した内容は、ツァラトゥストラにとって正しく理解されていなかった。悪魔があらわれて、思想はゆがんで伝わっているぞと言った。
ツァラトゥストラは、「荒々しい知恵」で、各地の学者などの知識層の人間に、「それは偽善だ、欺瞞だ」と説教をするが、自己批判のようにも感じられ、自分がどうすべきかわからなくなって悩む。

第三部
 ツァラトゥストラは、既存の価値体系、権力を否定することで、ひいてはすべての事象の根底に虚無を感じて、無気力になる。ニヒリズムである。
末人たち、超人の対局にいる多くの末人たちと、超人たる私に違いはないのだ。
 山に戻った彼は、七日間起きる力もなく、屍のように横たわっていた。目覚めたツァラトゥストラは、この吐き気が、人間の世界からの吐き気ではなく、一切合財を含めて人間的なものを絶対的に肯定する最後のいざないであることを知る。そしてそしてこの「しかり(イ・アー)」と笑う精神こそが、指輪の中の指輪、永遠回帰、永劫回帰であると悟る。

永劫回帰
 
同じ事象を何度も繰り返す。人は同じ悩みを何度も繰り返す。
自分が死んでもおそらくまた同じ人生を繰り返すだろう。
それを前向きにとらえるか、ただそこにあるだけでニヤリとできるか。解釈はさまざまである。
 たとえば以下のような解釈ができる。

 1すべての瞬間が、まったく同じ順序で永遠に何度も回帰する、という思想。その瞬間が永遠に何度でも回帰し反復することをさえ肯定しすすんで望むことができるように行為し、そのように生のすべての瞬間それぞれを「目的」や「理念」によってではなくそれ自体として肯定せよ、という倫理的な思想としての側面。いわゆる「最大の重石」
 2世界の出来事の可能な組み合わせは有限であり、世界の時間はこれまでに無限の時間が経過し、これからも無限の時間が経過する、という二点の前提から、これまでに起きうることはすべてすでに、起きたし、それも無限の回数起きた、またこれから同様におきうることはすべて無限の回数繰り返して起きる、そして、いまこの瞬間のこの出来事はそのひとつだから、やはり無限にこれまで反復され、これからも無限に反復される同じ出来事の反復の系列のひとつである、という認識。

はてなブログ  #永劫回帰

第四部
 ふたたび山にこもった彼は最後の苦悩と、最後の下山を行う。

ツァラトゥストラは、山上の洞窟の中で多くの歳月を過ごし、白髪となって最後の下降の時を待っている。彼は、自身が養成者、調停者、教育者であることを自覚する。ある日、救いを求める人間の叫び声を聞き、それを探しに出かける。彼は途中、八種類のより高い人間に出会う。右手の王と左手の王、老いた魔術師、法王、求めてなった乞食、影、良心的な学究、悲哀の預言者、そして騾馬がそれである。ツァラトゥストラは彼らを洞窟に招いて、晩餐の席を設ける。彼らは、憂い苦しみを払い落とし、笑い声に溢れ、「ましな人間」と呼ばれるようになる。そして、「生とはこれだったのか、よし、今一度」と叫ぶ。

しかし、ツァラトゥストラが求めるものは、幸せではなくして事業、真夜中の酔歌ではなくして大いなる真昼における自己犠牲である。「永遠回帰」が、ただツァラトゥストラの存在によ、人間の殻に植え付けられたことを知る。彼はましな人間たちに対する同情が、彼に対する最後の誘惑であることを悟って、同情を克服する。最後に、鳩の群れと一頭の獅子がやってきたことで、彼は「徴が来た」と、別れのときがやってきたことを皆に伝える。「いざ、獅子は来た。我が子は近い、ツァラトゥストラは熟した。我が時は来たー。これは我が朝、我が日は始まる。来たれ、今こそ、大いなる真昼!」と叫んで、ツァラトゥストラは再び山を下っていく。

wikipedia[ツァラトゥストラはこう語った]

ナチスによる哲学の利用

 これらのニーチェの思想は、神から人へというストーリーがナチスにとて都合の良いものだったためか、あるいは本気で「超人」であると、獅子であるとナチスが感じたためか、政治利用される。
 ニーチェは強くこれに反発しているようだが「超人」という、優性遺伝を残し、劣勢遺伝子は駆逐すべきだという考え方に容易に陥るであろうこの危険な考え方が、広くナチスに受け入れられ、障碍者は虐殺され、ユダヤ人もまた虐殺される。

ポストモダン

 17世紀ヨーロッパ、そこでは「啓蒙思想」が大いに主流だった。
神が作った世界ではなく、知識、理性による知によって世界が統治されるべきであるという思想である。
 しかし、これらの、既存の近代の(モダン)権威主義を壊して新しい秩序を持つべきであるという思想、ポストモダニズムが流行する。
ポストモダニズムは既存の権威を批判することから議論を展開するため、ポストモダンはおのずと、自己意識的、自己言及的、認識論的相対主義(英語版)、道徳的相対主義、多元主義、および不遜などの傾向が生じるのである。
ポストモダンはけっこうだが。結局啓蒙思想の続きをやっているだけじゃないか?という批判が生まれる。

かつて19世紀の初頭に、ドイツの哲学者であるヘーゲルは、哲学に対して「ミネルバのフクロウ」という比喩を使う。『法哲学』(1821年)の序文において、「ミネルバのフクロウは、迫り来る黄昏とともに飛び立つ」と書いた。
哲学は、まず現実のことが起こってから、後に そのための学問が やっと研究され始める

じゃあなにかい?神様も、知識も、社会構造もすべて無駄なのだというニヒリズムにもう一度立ち返る必要があるのかい?

グローバリゼーションという哲学

グローバル哲学は、アメリカ哲学でもある。
アメリカ哲学が、世界に広がっている。
 

超越論的哲学


ひとことで説明が難しいが、超越論哲学は、懐疑主義と似ている。
「美しいもの」がなぜ「美しい」か、定義を下すのは難しい。これは懐疑主義。
超越論哲学は、経験を超えた認識の根拠を探求する。
 例えば数学、「2+2=4」のような数学的判断は、
 経験に依存せずに成り立つ先天的認識の例、あらゆるものにそういったものがあるのではないかと、探求するのである。


 

アメリカにおけるダーウィニズム


社会ダーウィニズム
 社会競争はあって当然である。勝つものが勝って生き残るのだ!(カーネギー)
宗教的ダーウィニズム
 神が人間を進化させた!進化論は間違いだ!

こうして、ダーウィニズムをもとに、社会で分断が起きた。

より統合的な未来を見る方向に近年では変化している。 

プラグマティズム

実用性重視
プラグマティズムは、知識や価値を行動の場面で考え、有用性や有効性を基準とします。
多様性
プラグマティズムは多様な領域に影響を与え、現代思想の発展に寄与してきましたが、その多様性ゆえに一般的な定義は難しいとされています。
アメリカ独自の哲学
プラグマティズムは、ヨーロッパの観念論的哲学とは一線を画するアメリカ独自の哲学として発展してきました。

プラグマティズムは、アメリカ独自の実用主義的な哲学思想として発展し、現代思想の形成にも大きな影響を与えてきました。その多様性と実用性を重視する特徴は、アメリカ文化の一端を反映していると言えるでしょう。

  プラグマティズムにおける観念論の拒絶

プラグマティズム自体、観念論を否定しながら進化してきたものなのだ。
観念論は、事物の存在と在り方は当の事物についての観念(idea)によって規定されるという考え方を指す。
行動と、その有用性を検討するプラグマティズムとは思考の方向性が違うのである。

 プロセス哲学

変化しない絶対的なものを考えてきた西洋哲学に対して、変化する変化そのものを本質として捉えるのがプロセス哲学だ。〈実体〉即ち事物の不変性を批判するプロセス哲学は、「観察される諸々の事物はどう関連し合っているのか」といった存在論や「諸々の事物の存在はどう認識されるのか」といった認識論の論議に強く影響する。
 
ナラティブ、あるいは、ナラティビティは、「物語性こそが、従来の普遍性を批判できる」という主張をする。
ものごとに対して
「特殊な例を重視する」
「他の登場人物の立場に立つ」
「登場人物を戦わせる」
これこそが、人類を進歩させてきたと主張する。アインシュタインは相対性理論を発表したが、それには、アンリ・ポワンカレ、ヘンドリック・ローレンツなどの前提となる研究がなければならなかった。物語性こそがAI時代の人間のあるべき形である。

分析哲学

 分析哲学は、20世紀初頭に始まり、哲学的問題を明確かつ精密に扱うことを目指す哲学の一分野です。このアプローチは、言語の分析や論理的な推論を重視し、哲学的な問題を解決するための道具として論理学や言語学の手法を用います。

**主要な特徴:**

1. **言語の分析:** 哲学的な問題を言語の使い方や意味の問題として捉え、言語の構造や用法を明確にすることで問題を解決しようとします。

2. **論理学の重視:** 論理学を用いて哲学的な議論を厳密に分析し、明確で一貫した論証を構築します。

3. **経験主義:** 多くの分析哲学者は経験主義を支持し、知識は主に経験に基づくと考えます。

4. **反形而上学:** 形而上学的な主張(実在論や本質に関する主張)を批判的に検討し、しばしばこれらの主張を疑問視します。

分析哲学は特に英語圏で広く発展し、現在も多くの哲学者がこの方法論を用いて研究を行っています。

これらも一枚岩ではなさそうですね。

政治哲学への回帰

 アメリカにおける政治哲学への回帰は、特に20世紀後半から21世紀初頭にかけて、政治哲学が再び重要な学問分野として注目されるようになった現象を指します。この動きは、社会正義や公共の善に関する理論的探求が復活し、学術界や政治討論の場で再評価されたことを意味します。


この回帰の代表的な出来事や人物をいくつか挙げます:


1. **ジョン・ロールズの『正義論』 (1971年)**:

   ジョン・ロールズの『正義論』は、アメリカにおける政治哲学の復興において最も重要な作品とされています。ロールズは、「原初状態」と「無知のヴェール」を用いて、正義の原則を理論化し、公正な社会の設計を目指しました。彼の理論は、政治哲学の議論において中心的な役割を果たし、幅広い影響を与えました。

2. **ロバート・ノージックの『アナーキー・国家・ユートピア』 (1974年)**:

   ロールズの理論に対する自由主義的な応答として、ロバート・ノージックの著作も重要です。ノージックは、最小国家を支持し、個人の権利と自由を重視する立場から、ロールズの分配的正義に反論しました。

3. **コミュニタリアニズムの台頭**:

   マイケル・サンデルやアラスデア・マッキンタイアなどの哲学者は、個人主義的なリベラリズムに対抗し、共同体の価値や伝統を重視するコミュニタリアニズムを提唱しました。彼らは、個人の権利だけでなく、共同体の一員としての役割や責任を強調しました。

4. **共和主義の再興**:

   フィリップ・ペティットやクィンティン・スキナーなどの学者は、共和主義の伝統を再評価し、自由と市民的美徳の概念を再構築しました。彼らは、自由を単に干渉の不在としてではなく、支配からの独立と捉えました。

いろいろありますね、どれも政治的に影響度高そうです。

フェミニズム

ChatGPTに聞いてます。

アメリカにおけるフェミニズムの哲学的側面を強調すると、以下のような点が挙げられます。

### 1. **インターセクショナリティの哲学**

キンバリー・クレンショーによって提唱されたインターセクショナリティの概念は、哲学的に重要です。これは、個人の経験やアイデンティティが、性別、人種、階級、セクシュアリティなど複数の社会的カテゴリーの交差点で形成されることを示します。インターセクショナリティは、単一のカテゴリーに基づく分析を超えて、複雑で相互に関連した社会的不公正を明らかにします。

### 2. **ジェンダーの構築主義**

フェミニズムは、ジェンダーが生物学的に決定されるものではなく、社会的・文化的に構築されるものであるという構築主義的観点を支持します。この観点は、ジェンダーの役割や期待が時代や文化によって異なることを示し、ジェンダーに関する固定観念を批判的に再評価します。ジュディス・バトラーの「パフォーマティビティ」の理論は、ジェンダーが行動や言説を通じて繰り返し再生されるものであると説明します。

### 3. **正義と平等の哲学**

フェミニズムは、正義と平等の問題に深く関わっています。これには、リベラル・フェミニズムが提唱する法的平等の追求や、ラディカル・フェミニズムが主張する構造的な不平等の解消が含まれます。これらの哲学的アプローチは、どのようにして公平な社会を構築できるかについての議論を促進します。

### 4. **ケアの倫理**

ケアの倫理は、フェミニズム哲学の重要な側面です。キャロル・ギリガンや他のフェミニスト哲学者は、従来の倫理学が合理性や普遍的原則を重視する一方で、関係性や感情、ケアの実践を軽視してきたと批判しました。ケアの倫理は、人々が互いにどのように関わり、支え合うかを強調します。

### 5. **エピステモロジー(知識論)**

フェミニズム哲学は、知識の生成と認識に関する問いにも取り組みます。フェミニストエピステモロジーは、伝統的なエピステモロジーが白人男性の視点を中心に構築されていると批判し、多様な視点や経験を認識論に取り入れることを提唱します。サンドラ・ハーディングの立場理論(スタンドポイント・エピステモロジー)は、特に抑圧されたグループの視点が重要な知識を提供することを主張します。

### 6. **主体性とアイデンティティの哲学**

フェミニズムは、主体性とアイデンティティの概念を再検討し、個人がどのようにして自己を認識し、社会的に位置づけられるかを探求します。特にトランスフェミニズムは、ジェンダーとアイデンティティの複雑さを深く掘り下げ、固定的な性別二元論を批判します。

アメリカにおけるフェミニズムの哲学的側面は、インターセクショナリティ、ジェンダーの構築主義、正義と平等、ケアの倫理、エピステモロジー、主体性とアイデンティティの問題など、多岐にわたります。これらのアプローチは、単なる社会運動を超えて、深い哲学的洞察を提供し、現代社会におけるジェンダーや権力、知識の構造を再評価する重要な枠組みを提供しています。

なんでそこまで行くんじゃろ?
さすが進んでるなぁ

そして心の哲学。


こころの哲学。これも大変ですがどうぞ。

心の哲学は、意識、知覚、感情、思考などの心的現象の本質を探求する哲学の一分野です。主に次のような問題に取り組んでいます:

### 1. **心身問題**

心と身体の関係を説明する問題であり、いくつかの主要な理論があります:

- **デュアル・アスペクト・モノイズム**:心と身体は、同一の現実の二つの側面(精神的側面と物理的側面)として理解されます。

- **物理主義(唯物論)**:心的現象はすべて物理的現象に還元できるとする立場です。脳の活動が意識や思考を生み出すと考えます。

### 2. **意識の問題**

意識が何であるか、そしてどのようにして物理的な脳が意識を生み出すのかを問います:

- **ハード・プロブレム**:意識がどのようにして物理的なプロセスから生じるのかという難問。デイヴィッド・チャーマーズによって提起されました。

- **クオリア**:主観的な経験の質感や感覚のことであり、物理的説明が難しいとされます。

### 3. **知覚と認識**

知覚がどのようにして行われ、どのようにして外界の情報が心に取り込まれるのかを研究します:

- **直接実在論**:外界の物体は私たちの知覚に直接現れるとする立場。

- **間接実在論**:私たちは外界の物体を直接知覚するのではなく、それらの物体によって引き起こされた心的表象を通して知覚するとする立場。

### 4. **自己とアイデンティティ**

自己の本質や個人のアイデンティティについての問いを扱います:

- **自己の持続性**:自己が時間を通じてどのように持続するのかについての問題。

- **自己の構成**:自己は一貫したものなのか、それとも多様な要素の集合体なのかについての議論。

### 5. **自由意志と決定論**

自由意志が存在するのか、あるいはすべての行動が決定論的に決まっているのかについての問題です:

- **自由意志論**:人間は自由に意志を選択できるとする立場。

- **決定論**:すべての出来事や行動は、過去の出来事と自然法則によって完全に決定されているとする立場。

- **両立論**:自由意志と決定論が共存できるとする立場。

### 6. **人工知能と心の哲学**

人工知能(AI)の発展に伴い、AIが意識や知覚を持ち得るか、そしてAIの心的状態がどのように理解されるべきかについての問いが浮上しています:

- **機械意識**:機械が意識を持つことが可能かどうか。

- **チューリングテスト**:AIが人間と区別できないほどの知能を持つかどうかを判断する基準。

### 主要な哲学者と理論

- **ルネ・デカルト**:デカルトは心身二元論を提唱し、心と身体を異なる実体と考えました。

- **デイヴィッド・チャーマーズ**:意識のハード・プロブレムを提起し、意識の根本的な難しさを強調しました。

- **ダニエル・デネット**:意識に関する機能主義的なアプローチを提唱し、意識を情報処理の一形態とみなします。

- **ヒラリー・パトナム**:心の哲学における機能主義の発展に寄与しました。

心の哲学は、多岐にわたる領域をカバーし、人間の心の本質についての深い洞察を提供します。これらの問いは、科学、心理学、倫理学など多くの分野と交差しながら進化し続けています。


まとめ

これらの情報から。
現在最も有効であると思える箇所を抜き取って、自分のものとしましょう。

永劫にこのへんを、グルグル読んで考えて行くと、心が楽になるかもしれません。

フェミニズム周辺は悩みを増す結果になるかもしれませんが。

ではまた。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?