見出し画像

【ぶうわの悲恋】

私の大好きなぶうわは私の叔母で、母の姉にあたる。私が生まれた頃、母は産後暫くを牛頭町で過ごしたのだが、ぶうわは結婚前で牛頭町にいたので、母が病院から戻ってからというもの、生まれた私を大層可愛がってくれた。

「はな子がいるから、仕事に行きたくない。」と言って、私のために会社をずる休みしたこともあるらしい。

私をあやし、ミルクを飲ませ、お風呂に入れ、色んなところに遊びに連れていってくれた。牛頭町の家から程近くにある、回るコーヒーカップのある公園。お猿が沢山いたお城の公園。少し大きくなってからは電車に乗って、動物園や遊園地、夏にはプールと、連れて行ってもらった先は枚挙にいとまがない。

現在ぶうわは結婚し女児二人の母で、その娘たちも成人しているのだが、長女のふーちゃんが「ママは実の娘の私より、はな子ちゃんが可愛いからね」と言うほどに、とにかく可愛がってもらった。

「たつこちゃんに出来た初めての赤ちゃんやったやろ、とにかく、ぶうわ、はな子が生まれて、も~可愛て可愛て、妹の子供やからかな、こんなに可愛いなんて思っても無かったんやし。
や~でも、はな子は、よお~泣いたわ。泣いて泣いて『あ~~今日はようよう泣かさずにつれて帰ってきた。よかった~』と思ったら、玄関で転んで泣いてな。
も~ほんまに、そんなんやったで。な、な、おかあちゃん」とぶうわは楽しそうにおばあちゃんに話かける。

疳の虫がきつく、ビービーとすぐに泣く、扱いの難しい子供だった私に、いつもケロリとフラットに接してくれるぶうわだった。牛頭町のおじいちゃんに似て、豪快で、勝負事に強く、遊び心がある。

ぶうわが初めて牛頭町のおじいちゃんに競馬につれていってもらった際には、ビギナーズラックよろしく、万馬券を当てたそうだ。現在もその勝負強さは健在で、ご近所のパチンコ屋さんによく繰り出している。

私が大学に入ってまもない頃、友達と二人、牛頭町近くの居酒屋でごはんを食べていると、偶然隣の席に、母の友人夫婦とその兄というおじさんが座った。そのおじさんは、私が母の子供だと知ると、開口一番、母ではなく、「ぶうわ、元気にしてる
か?」と言った。

「え、あ、ぶうわですか?」と急にぶうわの名が出てきて面食らっている私に、母の友人夫妻が「兄さん、ぶうわと同級生やし」と補足してくれた。
「ぶうわ、可愛らしかったんやで~、おっちゃん、小学校の時に同じクラスでな、ぶうわはモテモテやったんや~~、いっつもハイカラな、見たこともないようなリボンやら、ピン止めしてたわ」とおっちゃんは嬉しそうに、ぶうわの話をしてくれた。

確かに、牛頭町のおじいちゃんが整理した家族のアルバムを見ても、ぶうわは、小さい頃から目鼻立ちも整っていてとても綺麗だった。

牛頭町のおじいちゃんが新しいもの好きで、買い物好きというのをおばあちゃんから聞いたことがあった私は、おっちゃんの言う『見たこともないようなリボンやら~』にも合点がいった。

おじいちゃんの買ってくれた髪留めの威力もあったかなかったか、ぶうわは小学生の頃から結構モテていて、お友達もいて楽しい学生生活を送ったようだ。

ただ小学生の頃、ぶうわは一度、風邪を拗らせ肺炎になり、生死の境を彷徨ったことがあるという。

高熱が続き意識が朦朧とするぶうわを、牛頭町のおじいちゃんが背負い、病院へ走っている様子をぶうわは空の上から見ていたというのだ。入院することになったが、幸い大事には至らず、小学校中学校を無事に卒業し、勉強はあまり得意ではなかったた
め、私学の女子高へ入学した。高校では、毎日一緒に過ごす仲良しも出来、小中学校に引き続き、ワイワイと楽しい学生時代を過ごした。今でもそのメンバーの名前は良く耳にする。

ある時、ふーちゃん、みーちゃんがに帰省中「ママって高校は裏口入学したんでしょ?」と小声で聞くので、私は驚き、そこに居たおじいちゃん、おばあちゃんに母は大笑いした。

「え、違うの?ママがそう言ってたんだよ」と二人は目を丸くしている。

「たまたまぶうわの行く高等学校に勤めてる先生がご近所に住んでたからやな、ぶうわが入学するから、よろしゅう頼みますって挨拶に行っただけや。」とおじいちゃんは鼻で笑う。母もおばあちゃんも失笑し、ぶうわは横で、少しバツが悪そうにしていたが、「菓子折りを持っていくって、そういうことかのと思うでなぁ、なぁ、たぁちゃん。」と、私の母に助け船を求めるも同意を得られず、珍しく静かになった。

正規入学した高校生活を無事に終えたぶうわは、銀行に就職する。 支店の窓口業務をしていたそうだ。

私が小学生の頃、牛頭町でぶうわが、お札を扇のようにひろげ、バーーーーーッと、いとも簡単そうに、手指を数十枚のお札の間に順に入れ、最後にパーンッと小気味よい音を鳴らして札勘定をしていたことがあった。
「●●円也~」とぶうわが面白がって言って、母が「ご名算!」とか合いの手を入れて笑っていた。私は初めて見るその様子に驚き、「ぶうわ、すごい、何それ、お金数えるの上手やん!」というと、「そうやで、はな子知らんかった?ぶうわ銀行に勤め
てたんやで」と言った。

ぶうわの悲恋はちょうどその頃のことである。
当時ぶうわは、大好きでお付き合いをしていた彼がいた。彼は小学校からのぶうわの同級生で土居君という。おばあちゃんも私の母も、牛頭町の家族は皆、ぶうわは土居君と結婚すると思っていたそうだ。

高校を卒業後、土居君は地元で就職し、ぶうわは銀行に勤め出すと、残業や、会社の付き合いもあり、これまでのようには会えず、二人の間には少しずつズレが生じてしまっていた。

そんなある日、仕事を終えてから二人は待ち合わせをしていた。ぶうわは少し早く待ち合わせ場所に到着し、久しぶりに土居くんに会える嬉しさに胸
を躍らせていたが、そのトキメキはすぐに不安に取って代わる。待っても待っても彼が現れない。

土居君はお父さんが早くに亡くなっていて、当時は母子2人暮らし。病がちの母親の面倒を自宅で見ていた。ぶうわは色々なことを想像し、随分待ってから、土居君の家へ電話をかけるも、かなり前に出かけたという。

「当時はポケベルも携帯もない時代やったから、連絡のつけようがなくて、でもぶうわ、ずっと待ってたんよ。そうこうしているうちに大粒の雨が降り出して、傘も持ってなくて、もう、その時の寂しさったら無かったわ。もう寂して、寂してな、こんな
寂しい思いをするなら別れようと、その時思ったよ」と別れを決意したのだとぶうわは言っていた。

結局、待ち合わせに土居君が現れなかったのは、彼が交通事故にあい、病院に緊急搬送されていたからだと、ぶうわは後々友達から聞いて知ることになるのだが、それを知っても、二人の関係は元には戻らなかったそうだ。

私は土居君が事故にあっていたなんて『ドラマみたいと!』となんだか一人浮足立ち『ポケベルが鳴らなくて』を自身の脳内でリピートさせていた。

その後ぶうわは、お酒もイケる口だったこともあり、仕事の後や週末を悪友と夜な夜な遊びに出かけ、牛頭町のおばあちゃんからは「たつ子ちゃんは、何人おってもええけども、ぶうわだけは一人もいらん!」と声を震わせ言わせ、「あの怒れへんお父ちゃんを怒らせるんやから相当やで」と母が言う程に羽目を外した後、お見合い結婚し、私のいとこであるふーちゃんとみーちゃんが生まれた。
「あのとき土居君と結婚してたらどうなってたやろと思うわ」と、ある初夏の頃、帰省中のぶうわが、牛頭町の台所で、エンドウ豆をさやから取り出しながら言っている。と、2階から洗濯物を取り入れたふーちゃんが通りがかり「結婚すれば良かった
じゃん、土居君と!」とサラリと言い放つ。

「あ、でもそしたら、ふかみとみかんは生まれてきてなかったんやから」と言うぶうわに、「生まれてこなくて良かったよ」と、天歩艱難を過ごしてきたふーちゃんは、ふーちゃんらしいシビアな一言を放った。

ぶうわは結婚後ふ~ちゃんを妊娠中に、牛頭町の実家から歩いてすぐの会社でお小遣い稼ぎにとアルバイトをしていたのだが、お昼を牛頭町に食べに戻ったまま、ついつい居眠り、気づいたらちょうど営業終了の時間が迫っていて、慌ててといってもお腹
が大きいため、ゆっくりゆっくりと歩いて会社へ戻る。と、皆普通に仕事をしていて、当時の課長さんから、「どこに行ったのかと思っていたよ。無事でよかった」と言われ「ちょっと実家に戻ったら眠ってしまって」と笑顔で答える、そんな大胆さも持ち合わせていた。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?