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【石切神社の神様】

ある時、牛頭町で母とおばあちゃんがいて、台所で集まって何かしら話しをしていた私は、
ちょうどおばあちゃんが出してくれたマスカットを房からとってはポンッと口に放り込み、
モグモグモグモグ食べていた。


おばあちゃんはその様子に目を細め
「やぁ、はなこちゃん、まぁ~~よう食べるよう

になってなぁ~えぇ~まぁ~~。美味しいか?」と聞くので「うん、美味しい!」と答え、ポンッポンッと続けざまにマスカットを口に頬張った。


おばあちゃんは「ようまぁこんなに大きくなったもんやで、なぁ~たつこちゃん」と母に言い、
少し涙ぐんだかと思うと
「ほんま、はなこちゃんは果物で育ったようなも

んやで」と笑いながらいつもの私の乳児期の話をしてくれる。


私は未熟児で生まれ、しばらくの間は保育器に入っていた。生まれてからの食が細く、疳の虫がきつく、いつもキーキーと、自分の内なる怒りを外に発散するように泣いているような赤ちゃんだった。


生まれてからもミルクを飲み進めない私を心配し、母は、自身の母乳の出の悪さからかと、粉ミルクも作ってくれたが、母乳にしても、粉ミルクにしても、私は少し飲んでは飲むのを止めてしまった。


飲んでいる途中から寝てしまうこともり、母だけでなく、牛頭町のおばあちゃんやぶうわも何とかして飲ませようと色々と試行錯誤してくれたようだが、飲む量は一向に増えなかった。



ある時おばあちゃんは、私があまりにミルクを飲まないのを心配し、とにかく何か食べさせなければと、『このリンゴ、摩り下ろしてみちゃろかの』と闇市の八百屋さんのりんごの籠盛りの前でふと思い立ったそうだ。
当時商店街には必ずあった金物屋さんで買ったおろし金で、丁寧に少しづつリンゴを摩り下ろしては
ガーゼで濾し、100%のリンゴジュースを絞ってくれた。


それを哺乳瓶に入れ、私の口元に運ぶと、
『ジューーーーーーーーーっ、
ジューーーーーーーーーっ』とけたたましい音をたてて、私はそのリンゴジュースを飲んだそうで、
それからおばあちゃんは、夏には西瓜、冬にはリンゴと、その時々で旬の果物を色々試し、飲ませてくれた。


おばあちゃんは話を続けている。

「それでやな、せいやさんが仕事から帰ってくるやろ」せいやとは私の父の名である。


「はなこちゃんに会いたいからやな、仕事から急いで、飛んで帰ってくるんやして。で、ここに来るなり、母子手帳をバッと開いて見るやろ、
もーーーーーーいっぺんに怖い顔になるんやして、もーーーーいっぺんにやで、怖い顔!!!
その怖い顔言うたらなかったわ」とおばあちゃんは顔をしかめ、首をすくめる。


そこへ二階のベランダから洗濯物を取り入れたぶうわがやってきた。「え、何々、せいや君?
そうやし、せいや君な、あの時はほんまになぁ、そんな怖い顔されても、こっちも仕方ないやんか、仕方ないやろ?なぁたつこちゃん、飲めへんもん無理やり飲ますわけにもいかないやんか」
とぶうわはその当時を思い出して少しプリっとした

口調で言った。


「そうやよ、ぶうわやおかあちゃんに怒ってたわけではないよ」と母は父を擁護するが、

「そりゃぁわかってるけどもやなぁ、なぁおかあちゃん」とぶうわは納得できないという様子で言い、おばあちゃんは大きく頷き
「も~せいやさんのあの怖い顔!!!」

とおばあちゃんはまた顔をしかめ、首をすくめた。



牛頭町のおばあちゃんはとても怖がりで、おじいちゃんがいつも見ている相撲中継でも、相撲の立ち合いだけでなく、立ち合い前の力士同士の睨みあいでさえも、

「キャー怖いよ、見てられへんわ」と席を外したり、うっかり立ち合いを見てしまった瞬間には
「キャッ!」と言って必ず目を閉じたりしていた。そんな怖がりのおばあちゃんにとっては特に、産後、牛頭町に里帰りしていた母のもとに父が来ると、和やかな牛頭町には一気に緊張が走り、おじいちゃんでさえ、毎回その様子を見て辟易したらしい。


おばあちゃんが「そうやわ、たつこちゃんがお百度踏みにいったでな、石切りさんに」と母に言う。「えッ」私は驚いて思わず声が出た。


『お百度参り』は、私が物心ついた時から見ていた時代劇ドラマの中で知ることになったのだが、
ある時は悲しみに暮れる母が病気の子供を思いお参りし、ある時は大店の娘が恋い慕うお侍さんの無事を祈りお参りする。そういった姿を何度もドラマの

中で見て、おじいちゃんと一緒に散歩に行くみき神社にも、行くと、お百度石が置いてあり、あ、これが時代劇でも出てくるお百度参りの石なんだと気づくことになったのだが、
まさか母がそれを実際にやってくれていたなんて!私は江戸時代のことだと手に思いこんでおり、それを知って、大変有難いことではあったが、まず先に

一種の衝撃を受け思わず声が出たのだ。


石切さんとは、東大阪市にある神社で、正式には石切劔箭神社(いしきりつるぎやじんじゃ)という。鋭い剣で悪いものを切ってくれると全国的にも有名な神社である。



「え、お百度踏んでくれたん?私便秘やったん?」私は初めて知る事実に、驚きを隠せなかった。


母は思い出そうと宙を見つめている。


「そうやわ。お百度参り石切りさんにお参りに行ったなぁ。」


おばあちゃんの果物のすりおろしで命をつないだ私であったが、そんな齢0歳?の私は超ド級の便秘を患っていたというのである。


そう。飲まないと出ないのが自然の摂理。食べていない私は、うん〇を出したくても出ないため苦しく辛くて激しく泣いたそうだ。


「も~食べてないから、そりゃぁ出ないやろ。
うん〇を出したくても出ないから辛がって泣いて、タオルを熱湯につけて、硬く硬く絞って、はなこのお腹や腰のあたりにしばらくあてて温めたり、お尻を刺激したらいいんかなと紙縒りつくってお尻のあ

たりをシュルシュルと刺激してみたりもしたわ。
お尻の穴に綿棒を入れて、かきだしたりもしたわ。」


「えーーーーーーーーーーーーー。」
何という衝撃。そんなことまで。


「え、病院行けへんかったん?」と聞くと、母は「行ったよ。もちろん病院の先生にも相談して、もらってきた乳児用の浣腸をしても、薬液だけがお尻から出て…」


「・・・。」何という衝撃。私は言葉がなかった。


「一回お参りしたら、紙縒りを一本こう折ってな、やってたな。」とおばあちゃんは

母のお百度姿を灌漑深げに思い出している様子だ。


私は我に返り「や~ん、ご迷惑おかけして本当に申し訳なかった。え~そんなことまでして貰ってごめんな。色々ありがとう」と母とおばあちゃんぶうわに御礼を言い、三人は私を見て笑っている。


「え、で、どうなったん?」と母に聞くと、


「どうやったかな…あれは…  
そうやわ、出たんやし。コロコロのが。」と母が言


と、ぶうわが、「そうやったな、奈良の鹿のうん〇みたいなのが出たよ!」

「そうそう。うん〇が出て、びっくりして、数えたら満願成就の日やった」と
母は当時驚いたことも思い出し少し呆然としてた。


「えーーーーーーーーーーーーー。」私はまた言葉を失った。


「お母さんお礼参りいった?」と母に聞くと、


「え、行ったかなぁ~行ったような行ってないような~」と言うので、


「私一度石切りさん行ってみたいと思ってたから、ちょっと御礼参りに友達と行ってくるわ」と一人宣言していた。


私は満願成就のその日迄、ずーーーーーと本当にうん〇が出ていなかったのだろうか

と、空恐ろしくなったが、母が石切りさんでお百度を踏んでくれ、石切りさんと私の

間にそんなご縁が存在するなんて驚き、その事実を初めて知った社会人になって数年の私は、それからしばらくして、お礼参りに詣でることができた。


随分遅いお礼参りになったが、お参り出来てうれしかった。


祈りや願い、ご縁もそうだが、大切なものは目に見えないことが多分にあって、ともするとそちらの方が多かったりするように思う。




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