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乗り鉄はじめ 1984年夏「青春18きっぷ」-2

 1984年の夏休み。「青春18きっぷ」を使ってはじめて箱根以西へ行ったワタシ。初日は大垣行き普通夜行列車に鎌倉の大船駅から乗車して丸一日かけて島根県の津和野までやってきました。


 津和野の駅で一晩過ごして朝早くから津和野の市街を散歩。
 当然、森鴎外は知ってましたが、親戚にあたる西周は現地で知りました。津和野はこじんまりとした小京都でふたりの暮らした家は近所です。
こういうことってありますよね。偉人や有名人がごく近所で知り合いだったといったケース。高めたり、反発したり色々あると思うけど、津和野や萩はそういうすごい土地柄でした。

それから錦鯉の泳ぐお掘を見て、いざ萩へ。

 この日は「青春18キップ」2日目だったけど、鉄道は津和野から山口線で益田へ出て、そこから山陰線で東萩まで。さすがに前2晩横になってなかったのでこの日はこの旅唯一の旅館宿泊。駅の観光案内所で事情を話して食事付きで手頃な宿を紹介してもらいました。

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ここで、今と大きく違う点をあげておきたいと思います。
それはお金と情報。

1980年代は当然インターネットなんてないので、情報を入手することもたいへんだったけど、それ以上にお金。
この時は事前に銀行口座を開設してキャッシュカードをつくったけど、当時は都市銀行と地方銀行やその他でお金をおろしたりできませんでした。都市銀行は大都市にしかなかったのでキャッシュカードは役にたたず。学生だったのでクレジットカードは持っておらず現金だけが頼りでした。「青春18キップ」を持ってるだけで宿も予約してないし、行く先もはっきりせずに確か2万円位持っていただけ。途中の下関で残り5千円になって、東京まで戻ったら残金千円。大胆にもよく行ったなあ。 若さのなせるワザ?

情報も国鉄のポケット時刻表と旅行ガイドぐらいしかなかったので、今から考えると飛び出しちゃった一人旅。
ガイドはヤマケイの旅行ガイド本が定番でした。
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 萩では旅館で一泊してから、レンタサイクルを借りて司馬遼太郎の小説であこがれていた維新のふるさと萩を周りました。調子に乗って郊外の笠山まで行ったりして体が日が当たるトコとそれ以外ではっきり色違いになったりして大変だったです。暑くて大変だったけど夢叶った日。

その日の夜は東萩駅のベンチでゴロ寝。夜は駅近くでスパゲッティ食べたら速攻でお腹をこわして一悶着。翌朝なんとか持ち直して「青春18きっぷ」3日目は萩から日本海側をまわって下関まで出てそれから広島まで。

- 下関
 そののち関門海峡の近くに住んだので下関と門司の距離感は身近なんだけど、このときは九州が見えなかったんだよなあ。なんでだろ?ちなみに帰りの明石海峡でも淡路島が見えなかった。あと、下関の駅前で天理教だったかな、宗教の勧誘受けてしまって、えー、こんな街頭で勧誘するってキリスト教だけじゃないの???と思った。

ー 宮島
 「青春18きっぷ」では宮島口からのフェリーを利用できたので厳島神社へ。このときは鳥居の足元まで徒歩で行くことができました。

ー 広島
 この日は広島まできてプラットフォームのベンチで硬直。
 広島では洗濯物がたまったのでコインランドリーへ。それから近くの食堂へ行って素ラーメン食べてたら、お店の人としゃべってるうちに、それだったらご飯食べるか?おでんどうだ?とおいしく楽しくお腹いっぱいにしてもらいました。思い出の夕飯。
 また、駅のプラットフォームに戻ったら、恰幅のいいおじさんと仲良くなって、半年後その方の家族が営む水島の旅館まで遊びに行きました。シャコ蝦がおいしかった。

ここまでで色々やらかしながらも広島まで来て「青春18きっぷ」3枚消化。残り2枚で仙台まで帰ります。(つづく)

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