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乗り鉄はじめ 1984年夏「青春18きっぷ」-1

 note書いてる方はダッシュボードでご自分の記事がどれだけ読まれているか数字を見られていると思います。私は読まれた記事ビュー数のトップ10のうち、気が付くと5つが国内の乗り鉄記事で、残りも1つを除いて海外の旅日記で主役は欧州での乗り鉄。 まあ海外をあちこち てくてくしたことがメインを成しているので当然の帰結ではありますが、もっと考えたことや、思っていることも発信したいと思っているのであります。 
あ、なんかケロロ軍曹になってる。。。

しかし、最近のビュー数を見てて思うのは今さらながら乗り鉄だったという事実。
えーい、じゃ、いっそのこと、その起こりを書いてみよう! がコレです。
あまりにも昔のことで写真はありません。



それは1984年 学生時代の夏休み。
鎌倉でバイト実習が終わって、大船駅近くで教えてもらった宿に投宿して、ちょっと鎌倉や東京で遊んでから家帰ろうとした夕方のことでした。

大船駅構内だったかな、本屋でポケット時刻表を手に取ったのが運のツキ。
コレを買って宿で見てたら、お得なキップとして「青春18きっぷ」が出ていました。

ふーん、なんだコレと案内を見るとその時はかの有名な「青春18きっぷ」発売2年目だかで、一般にはまだあまり知られていませんでした。
利用案内には1万円で5日間普通列車乗り放題 とある。
このときは学生で、金はないが時間はある状況だったので、よう判らんけど、これはやってみるしかないコトは判った状態。
宿には事情を話してキャンセル了解してもらい、そのまま荷物抱えて大船駅へ。
というのが私の1984年夏のはじめての「青春18きっぷ」でした。

スタート地点が大船だったというのがけっこうポイントで、やってみよう!のひとつのきっかけでした。 それは通はご存知の大垣行き普通夜行列車! 東京駅を23時過ぎに発車すると、大船に停車するのが日付が変わってからだったのです。確か大船駅発が00:12だったと思う。はじめての「青春18きっぷ」の初日が00:12に大垣行き普通夜行列車に乗って、そこから1日で行けるとこまでいってみよう!だったのでした。

人間誰でも、ウソのようなスゴい一日を過ごすことあると思うのですが、この日はまさしくそれでした。 うろ覚えだけど、こんな旅程。



00:12 大船から大垣行き普通夜行列車に乗車
 コレはのちのムーンライトじゃないんです。4人掛けボックスシートで全席自由席。ほぼ満席で通路に立ってる人、座ってる人がいました。
 乗ることが苦行な世界。
 でも〜ちっとも辛いなって思わなかった!
 (あ、私はそれは今も相変わらずでワールドワイドになっただけ。。。)
 この頃は浜松で長休息があったなあ。
 その後名古屋を過ぎて大垣へ。

翌朝岐阜県大垣駅到着。
 一同ダッシュで大垣→米原 普通電車に乗換
 みんな座りたいのだ!

滋賀県米原駅から確か網干行き新快速へ
 米原駅でもダッシュ
 新快速は長編成なのでダッシュは必要なかった
 このころは新快速が抜群に快適でした

兵庫県網干駅→岡山
 芦田川とか川や山並みが長閑できれいだった

岡山県岡山駅→広島通って岩国だったかな?
 広島あたりで日が暮れたことを覚えてる
 どこにも寄ってません。
 というか改札出てないじゃないかな!?

山口県岩国駅→小郡(新山口)
 ローカル線色が強くなって進みがゆるくなる

小郡→津和野 
 小郡から山口線で山口過ぎた頃には人がまばらで、さすがに心細くなった。

で、島根県津和野に着いたのが23時過ぎでほぼ1日中乗車でどこにも立ち寄らずに「青春18きっぷ」をフル活用の初日でした。

今振り返ると我ながらオイオイと思うのが、駅とかその辺で寝れるんじゃねえと思ってて実行しちゃったこと。到着と同時に駅は暗くなって、数人のご同輩とベンチでゴロ寝。 夜中駅員さんが見回りに来ると、すみません!と言って、しばらくしてまた仮眠。

もうろうとしたアタマで、一日中電車乗っとくってやろうと思えばできるんだなあ。しかも2000円!このときは首都圏までが行ったことのある境界だったので、一気に本州の西の端まで来ちゃったなあ。しかし、明日は津和野見てから萩だ! 萩! って疲労困憊で朦朧としながら楽しみだあ! とワクワクしていました。 (続く)

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