見出し画像

誰の勝利なのか、何の喜びなのか

「日本人として誇りに思う」「日本おめでとう」「ありがとうニッポン」

ドイツやスペインなど、サッカー強豪国に次々と勝利を収めていくサッカー日本代表。今年のW杯の盛り上がりようといったら、本当に祝日が新しくできてしまうんじゃないかと思うほどである。

元よりスポーツ、勝負ごとに悉く興味関心の薄い私は、どのチャンネルにも熱狂する人々が映る6時半ごろの情報番組を流し見ながら、いそいそと支度を始めていた。国全体がサッカー色になり、試合を見ていない者は非国民扱いされ、なんとなく居心地が悪い。

それが嫌なら試合を見ればいいと思うかもしれないが、もうここまで熱狂の渦から身を置いてしまうと、結果がわかっている試合に興味を持とうにも持てない気まずさがあって、かといって流行に乗らない私カッコいい的な逆張りみたいになっちゃうのも嫌で、Twitterで動向をチェックしながら「すごかったらしいね~」と話を合わせるしかない。

しかし、逆に外から見ているからこそ熱狂の渦中で見えにくくなっていることに気づくこともある。興ざめだと思われても大して関係ないし。

はたして「同じ日本人として誇りに思う」「日本おめでとう」「ありがとうニッポン」は、どういう感情なんだろうと。

グラウンドで走っているのは、紛れもなく選手である。幼少期からサッカーに親しみ、サッカーをしている自分を肯定され、サッカーを通じて仲間との絆を育み、時に雨に打たれ自分の体に鞭を打ちながらも、鍛えぬいた体と強いプライドを持って夢に見た晴れ舞台に躍り出る。

小さいころからの夢を叶えた姿と、人一倍磨き上げられ輝くスキルには、おめでとう、素晴らしい、ブラボーと声をかけたくなるだろう。

でも、それでもグラウンドを走りシュートを入れるのは選手だ。私じゃない。あなたでもない。自分のことのように嬉しい、とはよく言うが、「同じ日本人として」という喜びは、いったいどこからでてきたのだろう。

すごい!とは思うのよ。心の底からすごいと思う。自分の母校が甲子園に出場することが決まった時も、「すごい!」と声が出た。普段日常生活を共にしている学生が、「コーシエン」という夢の舞台にどうにかこうにかしてたどり着いたのだ。夢を叶えた学生がいるのも、めでたいことだ。

でも、「同じ○○生として誇りに思う」という言葉は、自分の感情とちょっとズレてるなあ、と感じるのだ。自分が○○生として何かを成し遂げたわけでもないのに、よく知らない同級生の努力が認められたところで、私の功績ではないし、ただ彼らがすごかった、それに過ぎない。

もしかしてすっごいひねくれてる?波に乗れないのが悔しいだけ?
ところがそうでもないような。

私はしばらくJO1のファンだったこともあるけど、JO1がMAMA2022で賞を獲った時も、JO1すごい!ここまで来るなんてよく頑張ったなー!という気持ちにはなったけど、韓国で表彰されている推しを見て、「同じ日本人として誇らしい」とは思わない。

厳密には、推しが世界に認められてうれしい、の方が正しい。でもそれは、「私のセンスは間違ってなかった」「やっぱり私の好きな物は世界に認められるものなんだ」という推しの力を借りて自分が正当化されたような喜びであって、日本人という集団に所属している一体感から得た喜びや誇りではない。

サッカーチームを応援するのも同じ心理だと思う。正直戦争してるわけでも私生活がかかっているわけでもないからどのチームを応援したって生活が変わったりすることはないけど、どれかひとつのチームが優勝し、優劣がつけられるとなるとどこか一つのチームを応援しておこうという気持ちになるのは自然なことだ。

そこに、バックグラウンドが似ているという理由からある種の民族意識が働いて、「日本のチーム」をみんなで応援するようになる。

半ば無意識的に同調圧力下におかれた集団は、応援しているチームが勝てば「私のセンスは間違ってなかった」「やっぱり私の好きな物は世界に認められるものなんだ」と同じ心理で、「やっぱり俺たちの国は強いんだ」と、世界から強いと認められている国に勝つことで再確認(?)し、自分たちが正当な強者であることを世界に知らしめた勝利をかみしめているのだと思う。

逆に、納得のいかない敗北を喫したりプレーに不満があるときはまるで自分の所属しているコミュニティ丸ごと否定されたような、弱く見られたように感じてしまって、その責任を選手に求めるのだろう。所属している集団が巨大で強固であるほど、自分自身が大きくなったように勘違いして、自分を構成するものの一部に弱いところがあるのが許せないのだ。でも自分ではどうすることもできないから、選手を責め、自衛する。

自分ではどうすることもできない時点で、「責任」だとか「日本人としての誇り」だとかは、自己のパーソナリティのほんの一部に過ぎなくて自分の功罪とは無関係なのは明らかなのにね。

かなり棘のある書き方になってしまったけど、これが全てじゃないことも理解している。

スペイン戦を見て涙ぐむ父は、「この勝利の熱狂を見て、あそこに立ちたいと思う日本の子供たちが増えればまた日本は強くなる」と言っていた。なるほど、世界からの賞賛と国を挙げての勝利の記憶が、次世代への憧れを膨らますのだとしたら、確かにサッカー界の未来は明るい。

何よりサッカーという競技が盛り上がれば全国のサッカープレーヤーが肩身の狭い思いをすることはないだろう。今まで以上に立派なメインカルチャーとして、憧れをボールに込めて練習に励める。

あー、ほんとに棘のある文章だよね。不快に思ったらごめんなさいね。日本代表だけでなく、サッカーを頑張る全ての選手、応援してます。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?