「もしも…」が自分の世界を惑わす
「もしも、あの時…」
誰もが一度は考えたことがあると思います。
「もしも、あの時…」と私が考え思い出すのは、何かを選択しなければ、決断しなければならなかった時です。
「この選択肢であっているのか?」
「この判断で正しいのか?」
「この後、マジでどうなるの?」
その時には、答えが分からないことがほとんどです。
結果がどうであれ、時間が経ってから分かるようになっている。
時間が進まなければ分からないことがほとんど。
だから、選択しなければならない時、歯がゆく感じるのでしょう。
人生は究極のあと出しじゃんけんかもしれません。
結果がどうであれ、予想とその後の現実には、
短くも長くも時間差があります。
「未来が知りたい。」
「せめて、この結果だけでも先に知りたい。」
何度もそう思い、そうならないことに打ちひしがれたことでしょうか。
仕事でもプライベートでも、何度も経験しました。
業務の一つとして、私は生命科学系の実験をしています。
様々な論文を読み、考察し、実験を組み立てる。
その際には、
「こんな結果が出るだろう。」
「この結果が出れば嬉しい。」
等と、結果にある程度の予想を立ててから実行します。
考察通りの結果が出る時もありますが、出ない時もあります。
新しいことに挑戦しているのですから、どこかで間違いなく失敗します。
大きな結果を期待した実験の場合は、最初はほとんど失敗です。
しかし、そこで得た結果(現実)から、
どこまで踏ん張ることができるのかが、
研究には重要となってきます。
また方法の微調整や変更をしてから、何度も挑む。
しかし、予算の範囲内で…
たとえ、予想通りの良好な実験結果が出た場合も、
それを証明するためには、違った角度から何度も検証しなければなりません。さらに、製品化するまでにはどれほどの時間と労力が必要か…
このように実験を通して、
思い通りにいかないことや失敗には
ある程度の耐性がついてきていると
自分なりには感じるのですが、
それでも、実験以外の業務やプライベートでの決断に関しては、
実験以上に不安になる時があります。
「あんなプレゼンでよかったのか?」
「あの接し方でよかったのか?」
「あの指示でよかったのか?」
「あれを買ってよかったのか?」
などなど、
「もしもあの時…」と
振り返っては、別の選択肢や方法のことを想像してしまいます。
プレッシャーがある時は、なおさらです。
何かが見えてくるまで、自然に恐怖と不安が襲ってきます。
その時には、熟考して決断しているのにも関わらず。
「もしもあの時…」
上手くいった妄想の中で完結できるのであれば、どんなに良い事でしょう。
しかし、時が来れば、何かしらの現実を味わう。
「もしもあの時…」
を考えなければ苦しくないとは分かっていても、考えてしまう。
「考えないでおこう」と思うと余計に考えてしまう。
ドラマのように過去へ戻ることができればいいのに…
どうしてもそう考えてしまうので、
今回は妄想にどっぷりとつかってみました。
このように考えてみると、
「今までの人生、案外、捨てたもんじゃないかも。」と、
すこし前向きになることができました。
一番は、今までの嬉しかったことや変わってほしくない過去を多く思い出せたことです。
たぶん、今後も「もしもあの時…」と考える時を繰り返すのでしょう。
そんな時は、”妄想タイムスリップ”を試みます。
そうやって、出来る限り後悔する回数を減らしていきたいものです。
追伸:やり過ぎには注意。用法容量を守って妄想しましょう。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?