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ZINE『be here now』への参加と「今日はここまで、〜自由なIMA"ZINE"展〜」にいってきましたよのおはなし(長め)

先に言っておきます。今日は長いぞ。

先週のおはなし。
頭の中でかくことまとめようとしてたら時間がたってしまった。で、結局まとまんなかったので、まとまらないまま書くことにする。
「今日はここまで、〜自由なIMA"ZINE"展〜」に行ってきました。滋賀にあるまちのみなとbookspaceぶらぶらさんでおこなわれていました。
先週でもう終わっちゃったんだけど、書くことや表現することについて心に残るものがたくさんあったので、少しでも書き留めておきたい。

umeさんのZINEにご縁あって参加させて頂いています。


ZINEのタイトルは『be here now』
今ここにあるもの、今ここに存在する自分やここに存在する今その瞬間と向き合うような言葉。今回のテーマは「交換」で、「浮島のわたし」という題でエッセイを書きました。

わたし自身、そもそもZINEがどんなものかまったくわからずに書いた文章だった。ので、だいぶかたっくるしい。
ZINEってフリーペーパー?的な?同人誌?的な?それよりもっとアートより?とかずっとはてなが浮かんでいた。
調べれば調べるほどわからん!となって、どんな形式か像がうかばないけども、書けるだけ書いてみたのだった。


umeさんとは少し別の場所で知り合った。
知り合った、が適切なのかわからない。SNS上のつながりって望遠鏡をのぞくみたいにだいたい一方的で、相手と繋がる線はフリーハンドみたいに不確かだ。でも正味そのくらいの。
ある日、タイムラインに笹舟がながれてくる。ZINEをつくります、原稿募集してます、書きたい方いらっしゃればお声がけください。

そのころのわたしはなにも書かなかった。
俳句を真剣にやっていたこともあったんだけど、いろいろと人間やら界隈がいやになってやめてしまっていた。
同人活動や二次創作をやっていたこともあったんだけど、それも自分が満たされた定量やりきってしまったために書く気力が起きなくなった。
じゃあオリジナルをとか考えてたけど、オリジナルで書きたい小説もなく、プロットとキャラクター設定だけで終わらせてしまっていた。
小説が、俳句が、短歌がきっとわたしには合っていなかった。
書くのが嫌い!で書くのを辞めたのでもなく、ただゆるやかに書かない状態に移行していた。

書かないが続いてゆくと、もう一生書かなくなってしまう気がした。
べつにそれでもいいけどな~と思っていたけど、こころのどこかで「なにかわかんないけど、なにかを書きたい」の感情だけが残っている。
でも何を書くとか、何を書きたいとかないの。全然ない。こういう物語を読んでほしいの!とかないの。だから困った。
書きたいものがあって、書けるものがあるんじゃない?って思ってたから。書きたいものもないのに、書きたいってどうすりゃいいの?

バターになっちゃうくらいぐるぐる円を描いてたら、umeさんから笹舟が流れてきた。ZINEをつくります、原稿募集してます、書きたい方いらっしゃればお声がけください。
笹舟にのっているZINEが何者か全然わからなかった。きいたことあるな~くらい。
わたしは何をやりたいのか、書きたいのかわからないくせに流れてきた笹舟に「やりたいです」と書いたおてがみをのせて、umeさんへ流した。umeさんはこころよくOKしてくれた。

わたしが書いたエッセイはなんというか、このnoteにいるわたしのままならない部分やめんどくせ~部分を抜き出してる感じだ。
あと同人誌によくあるアンソロジーのノリで書いてしまったので、当社比やたらとカッコつけてる。やだあ。今なら肩の力抜いてかけると思うんだけど、その時はそういう書き方しかできなかった。

上手く書けたかどうかばかり気にしておっかなびっくり原稿を出して、おっかなびっくりumeさんから完成した『be here now』を頂いて、中を読んで驚いた。
あれ、ほんとに自由だ。エッセイもあるし、詩もあるし、手書きもタイプ打ちも、対談も、思う事だけをさらりと述べたものもある。
みな飾らず、みな自由に、おのおのが着たい服をまとって、自分の歩幅で思うがままの「交換」を表現している。

「書くこと」や「表現すること」「創ること」にはどうしたって体裁が必要だと思い込んでいたわたしは『be here now』を読んでがつんと頭を殴られたような気分になった。
おお、なんだ、そうだ。書きたいなら書けばいい。
そこに物語を無理やり介在する必要性はないし、無理矢理いい話だったり、かっこつけたりしなくてもいいのだ。
それができないからといって、書くことを表すことをゆるやかに諦めて向いてないなんて苦しまなくてもいいのだ。
むしろそういうことも書いたっていい。そういうわたしもここにいる。そういうわたしだって、何も無い日々をぼんやり生きているわたしだってわたしで、それを文字にして「こんなの!!!」なんて一切合切悲しまなくていい。
物語が生まれない日々だって、きちんと生きていて考えているじゃないか。そうだ、それも間違いなく「わたし」じゃないか。

『be here now』があったからこのnoteを始めた。これほんと。べつにお世辞とかじゃない。あのumeさんが流してくれた笹舟がなかったら、わたしはこのnoteをはじめることもなかったし、こんなぶちまけみたいな文章を出そうとも思わなかった。
わたしが出せなかった一歩を与えてもらったと思っています。
もしもをいうなら、書いてなかったら、そうだな。今もきっとバターだけ抱えて無意味にぐるんぐるんしてたかも。
で、書けないことに泣いていた。物語や詩の創作が書くことの全てだってきっとまだ囚われていた。なやみすぎよ~~~ばかね~~~。

そうして発行されたZINEの展示をされるというので、おじゃましにいったというわけです。
ここからはレポだ!レポまでが長い!

瀬田駅からまーーっすぐ進んだところにあるまちのみなとbookspaceぶらぶらさんにつきますとこういう看板がおでむかえしてくれました。

看板くんがおでむかえ


中に入るとみなみなさまの素敵なZINEが集まった本棚がありました。

ぎゅっとあふれている

カラフルペーパーやら折り畳みやら一面いっぱい好きなこと詰め込んであるのみてるだけで楽しい。
引っ越しのことや無限に出てくる皿現象などなどポップにぎゅっっっと詰め込まれてる樺澤眞琴さんのZINEとか、短歌から離れてしまったけれど読んでいるとやっぱり楽しくなってしまう谷じゃこさんの短歌ZINEとか、時間がなくて読めなかったんですがめっちゃくちゃなかみが気になったまかろにさんのスタバタンブラーのZINEとか、勢いと勢いと勢いといまここ!!!この瞬間!!の瞬間最大風速が感じられるオカワダアキナさんのZINEとか。

樺澤眞琴さんのZINE
まかろにさんのZINE。スタバタンブラー本きになる
オカワダアキナさんのZINEと同人誌。最大瞬間風速
玉造三兄弟がつくる玉造の全てがつまったZINE


ほかにもたくさんのZINEがまじで書きたいものを書くぞ!!!いまここ!!この瞬間のわたしが表したいこと!がぎゅうぎゅうになっててくらくらした。

主催のumeさんが在廊していて、一時間くらいめいっぱいお話してしまった。
umeさんが語ってくれた「今日はここまで」というタイトルに込められた展示のお話とか、書くこと含めて自己の話とかもう一時間でどんどこしてしまった。で、だいたいそういう話をすると、あとあと「あ~~なんであんなにあんな話を話しまくって、聞かせてしまったのだろう。ばかやろ~。きっといやだったろうなあ」と後悔するのが常なんですが(めんどくさいマン)、そういうのもなくて、話しても話したりなくて、不思議な感覚だった。

壁にフリーペーパーをはってね!とあったので、umeさんとふたりで描いた。
あさひなさんは絵がうまくない。まじで。そんで、こういう好きに描いてね!が出来ない。アドリブガ全然できないの。手書き出力だと特に。
でも、なんでもいいよ~といわれたので、好きな食べ物を書きました。

えだまめがすきよ

枝豆です。あさひなさんは枝豆が好き。本当にすき。人の枝豆の分量を無視して枝豆を食べ続けるので、自分の分の枝豆を別にして頼むくらい好き。なんなら夏の夜ごはん冷凍枝豆ひとふくろよくやってた。愛してる。

umeさんは好きなアルバムのジャケットを描いていた。
「お皿洗いをするときに聴く曲です。これを聴いてるとイタリアンレストランで皿洗いとして働いている気持ちになれて、がっしがしお皿洗えるんですよ!」とのこと。

君もレストラン見習い小僧になろう

後日聴いてみたら、わたしならにんじんとかじゃがいもの皮むきを必死にやってる小僧になるなあと思った。イタリアンレストラン小僧曲。

まちのみなとbookspaceぶらぶらさんは息がしやすかった。
こういう展示イベントだとだいたいかしこまって緊張したり、輪に入れなくてだめだったりする。ふさわしいとか考えちゃうんですよね。何に?って感じだけど。そういうのが無かった。
ふっと眺めても、ふっと読んでも、ふっと黙っていても、だれかがおしゃべりしててわたしははなさなくても大丈夫、みたいな。同人イベントとか展示会特有の部外者の肩身の狭さがなかった感じです。いきしやすいのいいなあって思った。個人の感想。


帰り道、umeさんと話しながら、別れてからホームで電車を待ちながら、眠ってベッドに入るまでずっと。そして今も「書くっていいなあ。書くってやっぱりいい~!書いて表すっていい~!とうとい~!」と思い続けている。
書いて何かを作ることを諦めずにいたい。
それが完全でも不完全でも短かろうが長かろうがなんでもいい。わたしは書く。断続的だろうと、物語じゃなかろうと、書くは続けてゆきたい。
とりあえず長々しちゃったので今日はこのへんで。
おあとがよろしいようで。