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#2 エコーチェンバー

 家人から聞かされるまで、そんな言葉があるとは知らなかった。はじめて聞いた時には、何かの部品だと思ったぐらいである。

 エコーチェンバーとは、特定の考え方が増幅されてしまうような状況を指すという。自分にとって耳の痛い意見を排除し、居心地のよい環境にのみ身を置けば、あたかもそれが正解であると錯覚することは容易いだろう。

 身に覚えがないと言っては嘘になるし、今もなお私はエコーチェンバーの中にいると思う。そう思わなければならないという、使命感にも似た認識に立っている。

 そもそも、日本語話者である時点で日本語から逃れられない。仮に他言語を習得したとしても、それを逐次日本語訳してから理解するような程度の理解であれば日本語と変わらない。日本語という括りが大きすぎるとしても、言語に立脚して物事を認知しているのには違いなく、その圏内で生まれるのはエコーチェンバーではないのか。圏外への逃避は、不可能なのか。

 この場合、エコーチェンバーというよりも、文化と呼んだほうが適切なのかもしれない。異文化を本当に理解することは、少なくとも今の自分には難しい。

 理解できないことそのものは嘆くことではない。理解できないと認識していることはひとつの視点である。

 自分が接している情報が、更には文化や生活が、相対的であると考えることが誠実だ。自分とは違う人がいることを認められるなら、いつだって平和なのである。

 そうは言いつつも、今日も考え方の合わない人に仕事で苛立つ身である。謙虚でいることは、難しい。





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