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#3 バターケーキ

 私が子どものころ、母はしょっちゅうバターケーキを焼いた。

 母は決して料理が得意なほうではなく、最近は嫌いだとまで公言しているから、それは子どもに手づくりのものを食べさせたいという愛情だったのだと思う。

 洋菓子店の主役は、何といってもショートケーキである。一方で、バターケーキは日持ちがするからショーケースにも入れられず、明らかに脇役である。

 子どもごころに、なぜショートケーキではなくバターケーキなのかを尋ねたことがある。

「要は、バターがいちばん美味しいのよ」

 思えば、父も母もバターをこよなく愛した。ビスケットよりもクッキー、クッキーよりもフィナンシェ、ショートブレッドなどもってのほかで、バターの量に比例して貰い物の菓子を喜んだ。六花亭のバターサンドをいただいた日には一日中上機嫌であった。

 その反動か、私はぽろぽろとくずれてしまうような菓子が好みである。家では決して食べることのなかったショートブレッド、喫茶店ではざくざくしたスコーンを注文する。重みのある口触りよりも、軽快な食感を優先したい。

 祖父は、孫が集まるたび桶の寿司を注文した。母にとって実の父親にあたるその人は、はす向かいのなじみの寿司屋に出前をとる。母は、その寿司屋の玉子が大の苦手であった。とんでもなく甘いのである。

 寿司屋の主人は祖父と同世代だったそうだが、戦争で物のない時代を過ごした。当時砂糖はたいへん貴重で、戦後砂糖が手に入るようになってからはご馳走といえば甘いものであったそうだ。

 母からすればとばっちりもいいところで、いつも玉子には手をつけなかった。だが、他の寿司屋では締めに必ず玉子を注文する。特別好きなわけでもないのに、必ず最後に玉子を食べている姿を見て、母も古風な人だと思った。

 母のバターケーキづくりも、バターが高級品であるという憧れが透けて見えた。

 先日、カルピスバターを贅沢に使用したというブリオッシュをいただいた。軽い食感でありながら、あとに残るバターの上品な余韻、玉子の甘さに感動した。私も、贅沢であること、それ自身をいただいている気がする。

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