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中国というシステム(4)中国文明における身体へのまなざし

 ちょっと政治的な議論から離れて、中国文明における「身体」をめぐる認識について考えてみたい。
 身体の取り扱い、認識において、中国では人間と動物との間の絶対的な境界がなくて連続しているという印象を私は持っている。
 三国志では、敵を塩漬けのハムにして食べると脅したり、英雄の肝を食べたり、水滸伝でも、旅人を殺して肉饅頭を作ったりしている。キリスト教がないせいか、人肉食へのタブーがないというか心理的障壁も低い。そもそも人間の身体への敬意というか畏れが希薄である気がするのである。
(以下、書いてる自分がうんざりするような悪趣味な話が続くので、なるべくあるいは全然読まないでください。)
残酷な刑罰
 「中国史談集」*1では、中国人が考えだした驚くべき身体への刑罰が列挙されている。モンゴルの影響を受けて極めて残酷であった明の朱元璋(初代洪武帝・太祖)*2が採用した極刑の手法は、次のようなものであった。
 刖膝(膝の筋を切る刑)・断趾(足を切る刑)・鉤背(背に鉤を打ち込んで吊り上げる刑)・剥皮(皮膚を剥ぐ刑)・腰斬(胴切りの刑)*3・坑醢(生き埋めて切り刻む刑)など。これら極端な惨刑は、どれも従来から存在しながら中国人自身も非刑すなわち不法の刑罰であるとしていたが、特に太祖があらためて執行を命令あるいは黙認して実施されたのである。中国では死刑は、基本的に中央集権システムにおける皇帝の専決事項であった。
 絶えず遊牧民の支配を受けてきた中国人DNAならではの、家畜処理技術の人体へのストレートな活用と豊富なアイディアは、中華料理のメニューをみるようで、淡白な日本人には及びもつかない気がする。もちろん日本でも、秀吉の釜茹で・のこぎり引き、あるいはキリシタン弾圧など随分残酷な処刑があったが、身体の各部分へのしつこい着目がとてもユニークだ。
 宦官というのは、家畜管理から発達した去勢技術を人間に適用したものだが、その宦官が、2000年前から政治システムにしっかりと組み込まれている中国は、やはり遊牧民的というか、日本とは根本的に異質な文明であると言わなければならない。
皮を剥ぐ
 皮を剥ぐ刑について、遊牧民の牛馬の皮を剥ぎ慣れていることから、これを人間の刑罰に応用したものだろうが、「中国史談集」では、生きたまま皮を剥いだら半分もいかないうちに絶命したとか、体を板に打ち付けて瀝青を全身にかけて槌で打つと、中身が脱げ落ちて皮だけが蛇の抜け殻のように残ったとか、顔の皮だけ剥ぐとか、牛皮を煮込んでどろどろにしたものを皮膚に貼り付けて乾いたら人間の皮といっしょに剥すとか、とにかく剥皮の実例がうんざりするほど出てくる。人体を一枚の皮に剥ぐことに失敗して途切れるとその処刑者が殺された場合もあったという。また皮を使って人形を作ったり太鼓を作ったり、活用法も多彩で、いずれにせよ単なる残虐性にとどまらないグロテスクな悪趣味にあふれている。*4
人体標本
 朱元璋は官吏の取り締まりにも厳格で、六千両以上の収賄をした者は梟首の刑に処し、さらに皮を剥いで中に草をつめ晒したという。その伝統を継承発展させて、いわばリアルな人体(死体)から人体標本をつくるというアイディアは、実は最近まで中国で活発に行われ、世界中を震撼させる事件があった。
 事の発端は、2018年スイスのローザンヌで予定されていた人体標本展が中止されたのだが、その人体標本が拷問死した法輪功メンバーであるという疑いが出たためで、主催者側は、要求された本人あるいは遺族の同意書を提出できなかった。
 じつは同種の展覧会ははるか以前に、すでに日本で「人体の不思議展」として(養老孟司推薦!)1996年から1998年、全国を巡回していたのである。私は見に行かなかったが、実際に人体からとった全身スライスから血管網や胎児子宮の標本があり、その写真を見てぞっとした覚えがある。
 こうした精巧な人体標本は、あるドイツ人が開発した、実際の人体の組織や臓器の保存を可能にするプラスティネーションという技術で作られたものだったが、なんと驚くべきことにそのドイツ人は、中国の大連に死体加工工場を設立経営し、大量の人体標本(死体標本というべきだが)を製作し続けた。
 その工場は2012年突如閉鎖することになる。当時の大連市長の薄熙来は、法輪功弾圧にも辣腕をふるったが、公安・裁判所・刑務所と連携して、収監中の法輪功学習者の人体を、その工場に売りさばいたという疑いが出て、それが決定的になったのは、ある妊婦の標本が、行方不明になった薄熙来の愛人そのものであり、妻の谷開来が手を下したという噂であった。愛人を殺して標本にして夫に見せつけるなど、漢の呂太后がライバルの戚夫人の手足を切断し眼をくりぬき晒し者にした例を彷彿とさせるところが、さすが中国である。プラスティネーションの技術はあまりにも精巧なので、元になった人体の顔の特徴も忠実に再現してしまうから、事が露見したのである。
 事件は工場閉鎖とともにもみ消された。死刑囚・法輪功信者だけでなくウィグル人もまた、人体標本になったといわれている。
 こうしたなんでもありのどぎつい殺戮劇はまるで水滸伝のようだが、これが現在でも実際に起こっているというのが、中国の凄いところなのだ。
臓器移植
 中国では臓器移植が容易で、一大産業となっている。お金さえあれば必要な臓器がすぐ手に入るようなのだ。今年100歳で死亡した親中派のキッシンジャーは、中国で6回も臓器移植したとのことである。なぜそれほど臓器が簡単に入手できるかというと、資源としての潤沢な死刑囚と、さらに誘拐等による闇ルートでの人体の調達があると言われている。
 こうしたとんでもないことを書いているのは、中国で大弾圧を受けた法輪功の運営するYoutubeで、多くの学習者(信者をこう呼ぶ)が逮捕され臓器を摘出されているというニュースを見まくっているせいである。、信者に限らず、一般人も誘拐され臓器摘出の被害にあっているらしい。先ほど書いた人体標本の話のあとでは、こんな闇の臓器摘出など、中国では造作もないことがわかるだろう。
 実際に、特殊な血液型・免疫タイプを持っている学生が、突然行方不明になった事件があり、それがどうやら同じタイプのある金持ちの臓器移植のせいであると言われている。この行方不明事件は確かな事実で、また一般的な臓器移植の容易さも事実であり、それを考え合わせると、法輪功サイドの主張もあながち的外れではない気がする。
 現在中国では臓器提供の意思を示すカードの保有義務化が強力に推進されており、これが人々の不安を煽っている。誘拐とまではいかなくても、何らか事故で入院しても、需要があると、治療されずに、簡単に臓器を摘出されてしまうのではないかという恐怖である。ましてあらゆる個人情報データが一元化して共産党に管理されている中国では、それが共産党幹部や結託している富裕層と病院によって、容易に臓器移植ビジネスへの活用が可能であり、そのカードが簡単に悪用される怖れがあるのだ。
余談:走りまわる「火葬車」
 さらにまた人々の恐怖を煽っているのは、最近街中を走り回っている「火葬車」である。中型トラックの荷台に煙突をつけたボイラーを乗せた、全く身もふたもないデザインで、ペット用の火葬という触れ込みだが、70キロまで焼却可能でちょうど人間がひとり入れる長さで、人体の焼却にぴったりなのだ。中国の火葬場はすべて国営でそれなりに管理されているので、この移動式の火葬車が、闇で臓器を摘出された人体の処理に使われるのではないかという疑いである。もっとも、最近再び急増しているコロナあるいは他の感染症により、増大する死者に追い付かなくなっている火葬場への補助という役割もあるかもしれない。(余談であるが、コロナで発表された死亡者数は当然過小であり、法輪功系のメディアは全国の火葬場の数に、1日あたりの処理数をフル稼働したことから何千万も死亡したという推計を出している。)いま流行のモビリティアズアサービスMaaSを推進しているスマートシティ論者のみなさん、キッチンカー、移動店舗、移動図書館、移動美容室等に加えて、ぜひ中国の移動火葬車をメニューに加えてはいかがだろうか。
まとめ
 こうした中国人のみもふたもない身体の取り扱い、身体への眼差しは、おおむね支配層として君臨してきた北方遊牧民のDNAに由来するものであろうか。ドライで肉食系でマテリアリスティック(物質主義的)で、現実主義的で、目に見えない怖れとかタブーを信じない民族性が、このような身体への眼差しを形成してきたといえるだろう。ここでは、人間と動物との境界線が曖昧で、そして人間の身体ですら、移植臓器の資源としてかんたんに「産業化」されているのである。 
 良くも悪くも、中国は3000年におよぶ歴史を通じて、一貫した統治システムを連綿と持続し、またそれについての強烈な自尊心=中華思想を有しているので、我々はやはりとんでもない隣人と接しているとあらためて感じざるをえないのである。

*1:「中国史談集」(澤田瑞穂・1912-2002)ちくま学芸文庫2017年(もとは2000年刊行) 
*2:宋の時代は士大夫の死刑はほとんどなく、気候の悪い僻地に流刑して苦しめるくらいであったが、モンゴル支配が90年余り続いた間に、中国人の心理も深刻な影響を被って、要するに生命軽視の風潮が著しくなり、明では皇帝がわけもなく簡単に大臣・官僚を殺す時代に入ったのである。明初代皇帝朱元璋は、建国の功臣たちを次々と殺戮した。しかもただその本人だけでなく、一族一党その家族におよんで処刑したので被害は甚大な数に上った。宰相胡惟庸の一党として死刑に処せられたものは連座した家族を含めて1万5000人(1380年)、将軍藍玉の獄では2万人(1393年)に上ったと言われる。連座制に関しては、今も中国や北朝鮮で普通に採用されている。
*3:「腰斬」(胴切りの刑)について、明治時代、福沢諭吉は支援していた朝鮮独立の志士が捕らえられて、この腰斬の刑によって処刑されたことに悲嘆しつつ、むしろその非道な野蛮さにあきれ果てて、朝鮮にはもう関わるまいと「脱亜入欧」を唱えた。清の属国であった朝鮮は、清の刑罰を律儀に模倣していた。
*4:中国の刑罰の残虐性にかんして、「凌遅」(刻み切り)という刑については清末期の1905年に実施された写真が残っている。(ジョルジュ・バタイユ「エロスの涙」ちくま学芸文庫p307-309)胸をえぐられ、足をちょっとずつ切断されているが、阿片を与えられた受刑者は恍惚とした表情を浮かべている。当初は火あぶりだったが、皇帝の恩情によってこの緩慢な刑死に減刑されたとのことである。

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