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カップ麺に湯を注ぎ、歯を磨いて、線路上に寝転がる #スキな3曲を熱く語る

#スキな3曲を熱く語る

初めての投稿なので、温かい目で見ていただけると幸いです……。

能動的三分間 / 東京事変

この曲を再生してまず耳に入ってくるのは上品で大人びていながらもその内に激しさを覗かせるサウンド、そしてまず目に入ってくるのは再生時間「3:00」の表記だろう。

「能動的三分間」のタイトルに偽りはなく、この曲は本当にちょうど三分間で完結する楽曲だ。ファンの間では「世界一お洒落なラーメンタイマー」として親しまれている。その用途では自分も何度かお世話になった。カップ麺が出来上がるまでの退屈な三分間も、この曲をかけた途端、お洒落で有意義な時間へと変貌し、そしてあっという間に過ぎ去ってしまう。

一方で、歌詞を読み込むとまた違った一面を見ることができる。一部抜粋してみよう。

三分間でさようならはじめまして
Hit! 格付(ランキング)のイノチは短い
Come back to life and be high
I'm your record, I keep spinning round
But now my groove is running down
Don't look back brother, get it on
That first bite is but a moment away
When I'm gone, take your generator, shock!
Raise the dead on your turntable
Up, up and away!

(我々は使命を果たしたと思う)
(しかし始まったものは終わる)
(決して振り返ってはいけない)
(幸せな一口目が待ち構えてる)
(我々が死んだら電源を入れて)
(君の再生装置で蘇らせてくれ)
(さらばだ!)

東京事変「能動的三分間」より引用(日本語詞は公式MVより)

この曲の歌詞からは、あらゆるコンテンツに通じるような一種の叙情性を読み取ることができる。

ポップカルチャーの奔流の中、コンテンツは、それがたまたま目に止まった人々に掬い上げられ、消費される。そして飽きられると捨てられ、また他の所へ流れていく。まるで即席のカップ麺のように、ほんの短い時間の喜びを人々に与え、そして消えていくのである。

「能動的三分間」はその避けられない運命を許容し、いつかまた「再生」されることを願い、私達に別れを告げる。この刹那性が聞く者の胸を掴んで話さないのだ。

きっとこれから何年が経っても、この曲は誰かの再生装置で蘇り、さようならとはじめましてを繰り返していくのだろう。

はの うた / ペトロールズ

自分には10歳年の離れた妹と、12歳年の離れた妹がいる。あまりに年が離れているので、お兄ちゃんというより半分親代わりのような気分で彼らと接していた。

毎週日曜の朝9時になると彼らと一緒にテレビ東京の「しまじろうのわお!」を見るのが定番となっていた。この番組はNHKの「おかあさんといっしょ」に近いフォーマットで、しまじろうたちが活躍するアニメがあったり、色んなキャラクターと一緒になってダンスできる歌があったり、世界中の動物や魚について教えてくれるコーナーがあったりという感じだ。30分番組ながらバラエティ豊かな内容なので妹たちも毎週放送を楽しみにしていた。

そしてこの曲「はの うた」は同番組内で放送された、子供たちに歯磨きの大切さを啓蒙する曲である。一度再生してみてほしい。

お洒落すぎる。
幼児向け番組だぞ??
こんなお洒落なことがあって良いのか????

余計な音をジャカジャカ鳴らさず、必要最低限の要素で構成された洗練された曲調が素晴らしい。歌詞も「はみがきしようねー」みたいな単純なものではなく、虫歯に対してどうすることも出来ない無力感と「それでもきみはぼくを好きでいてくれる?」という一途な思いをしっとり歌いあげた情緒溢れるものだ。大人の目線から見ても明らかにクオリティが高い。都会のお洒落な喫茶店とかで流れていても全く違和感がないのではないだろうか(多分)。当時中学生ながら衝撃を受けた。

それから何年か経って、椎名林檎と東京事変にドハマリした。TSUTAYAでアルバムを片っ端から全部借りて相当聴き込んだ。それだけでは飽き足らずネットで色んな情報を漁っていくと、東京事変のギター担当である浮雲氏が別名義(長岡亮介)でボーカルを担当するバンド「ペトロールズ」の存在に行き付き、そしてこの曲に再会した。そのときの驚きと言ったら無い。

それをきっかけにペトロールズの楽曲にもズブズブとハマっていくこととなった。数年ぶりの伏線回収だ。長い時を経て、「はの うた」が自分に新たな出会いを結びつけてくれたのである。

ありがとう、ペトロールズ。そしてありがとう、しまじろう。

虚言症 / 椎名林檎

高校(高専)2年生頃からしばらくの間、精神を病んでいた。学校やバイト先での人付き合いや学業がうまくいかなかったこと、鬱病を患っていた父の影響を受けたことなどが原因だ。当時は自己嫌悪と強い孤独の中に生きていた。

そんな毎日の中、学校からの帰り道でいつもこの曲を聴いていた。

線路上に寝転んでみたりしないで大丈夫
いま君のために歌うことだって出来る
あたしは何時も何時もボロボロで生きる

例えば少女があたしを憎む様な事があっても
摩れた瞳の行く先を探り当てる気など 丸で無い

徒に疑ってみたりしないで大丈夫
いま君が独りで生きているなんて云えるの
君は常に常にギリギリで生きる
あたしは何時も君を想っているのに

椎名林檎「虚言症」より引用

この歌詞にある「君」とは、椎名林檎女史が福岡県に住んでいた高校時代、新聞に載っていた、線路の上に寝転んで自殺を図った少女のことである(出典)。林檎女史は会ったこともないこの少女のことを思い、この詞を書き上げた。

彼女は少女に対して
「いま君のために歌うことだって出来る」
「いま君が独りで生きているなんて云えるの」
「あたしは何時も君を想っているのに」

とまで言い切っている。無論、事情を何も知らない、見ず知らずの人間に対して通用するような言葉ではない。言ってしまえばだ。タイトルの「虚言症」も、その「嘘」から連想して付けられたものである。彼女は自分の言っていることが具体性のない「虚言」であると重々承知していながら、それでもこの言葉を少女にかけてあげたかったのだ。「虚言症」は、まだ年端も行かない女子高生が、もうこの世にはいない女の子に対して伝えたかった、不器用だけど優しい嘘なのである

自分は心を病んだあの時、何回も何十回ももこの曲を聴いた。その度にこの曲が隣に優しく寄り添ってくれているような気持ちになった。どんな人との会話とも、どんな小手先の言葉よりも、この曲に心が和らいだ。少女を救ってあげたかった林檎女史の気持ちに自分は救われたのだ。

YouTubeで「虚言症」の関連動画を見ると、「虚言症は中学の頃に本当に救われた」「自殺を思い留まることが出来た」など、自分と同じくこの曲に救われたファンの感謝のコメントを数多く見ることが出来る。女の子を救いたかったという気持ちが報われることはなかったが、この私達自身に向けられたわけでもない小さな嘘に何百もの人が救われたのである。そして自分も今この嘘のおかげで生きることが出来ている。人の縁は不思議なものだなと思う。

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