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僕は1人じゃない 完

コンニチハ、いとうげんたです😊 今回は入院中で僕は1人じゃないと気づいたエピソードを書いていきます!

入院生活は退屈で死にそうでした。朝は6時に起こされ採血され、8時に朝ごはんを食べ、9時からリハビリをし昼ご飯を食べて、晩ご飯食べてねる以外は基本なにもしていません。入院初日に担任の先生がお見舞いに来てくれた。先生にはとても可愛がってもらっていた。僕が学校を辞めたいと思い詰めた時も馬鹿な事を言って気を楽にさせてくれたり、LINEで部活の事を聞いてきてくれたりしていた。
いざお見舞いに来てくれて「これから暇やろこれ読んで退屈しのぎしーな」まじか。めっちゃいい先生やん本買ってきてくれたんやと考えていたら、大きめの袋から5冊ほど机に置いて「はよ元気なれよ!」それだけいい部屋から出て行った。もーちょっといて欲しいかったなぁ、と思いながらどんな本か見てみるとその瞬間顔が青ざめて頭が真っ白になった。それは

ナース特集のエロ本とDVDだった

その瞬間「やばい。ここで看護師さんに見られたら爆死する」あの人は本当にイタズラ好きな先生だった。ある意味フレンドリーで時には厳しいいい先生だと思う。その時だけは悪魔に見えた。そのエロ本たちはとりあえず枕シーツに隠した。

次にお見舞い来てくれたのは部活の監督だった。
既に担当医から話は聞いていたらしく、部屋に入ってきた時の雰囲気はとても悪かった。先に感じ取った僕は「最低3ヶ月かかるらしいです。でもインターハイ予選あるからとりあえず1ヶ月で治しますね笑」と改めて伝えた。監督は「今年のインターハイ予選は諦めて、選手権に向けてしっかり病気と向き合って治しや」僕の事を思って言ってくれた言葉だとは思うが、違う、違うそうじゃない。僕が言って欲しかった言葉はそんなネガティブな事じゃない。「お前ならすぐ治せるよな」とか「期待してるぞ」とかジョークを言って笑わせて欲しかった。その時は「はい」とだけ言ったが、心の中では「黙れよ。おれができると思ってんだから出来る。やってみてむりだった時にそう言えよ」と闘志が燃えた。

とはいえ早く直すためには特になにをすると言った事もなく、ひたすら合併症を起こさないようにしたらダメな事は絶対にしないと決めた。

監督が帰ると同時ぐらいに部活の同期たちがお見舞いに来てくれた。「大丈夫?」と聞かれて「大丈夫じゃないらしい、死ぬ1歩手前やってんて笑」と言うと「はよ治せよ」とか言ってくれて「げんただけ強化練しーひんとかせこいぞ」とかジョークを言って笑い合っていた。現実をあまりみたくなかったが、この時は普通の日常を感じで幸せだった。そのあと看護師さんに「げんたくん笑いすぎて心拍数が200超えてたから死ぬかと思った」と言われた。「冗談でも看護師さんはそれいっちゃだめでしょ」とまた笑ってしまった。

それからサッカー部のみんなはオフの火曜に毎回来てくれた。特に今でも仲のいい友達は毎週火曜欠かさずきてくれた。クラスメイトもオフの日にお見舞いに来てくれた。僕のクラスは体育クラスで、学校自体とてもスポーツが強かった。みんな全国クラスの人達で、野球部なんか甲子園へ行くための練習の真っ最中なのに、せっかくのオフを僕に使ってくれたことがとても嬉しかった。

ぶっちゃけて言うと、僕はクラスの中心でもなかった。部活の時ははっちゃけていたが、クラスではとても静かな方だった。あまり馴染めていないって、無難に学校生活を過ごしていたつもりだったのに、みんな来てくれる。幸せだなぁ。小学校、中学校の事があるからあまりみんなと仲良くなりすぎるのが嫌で距離をとっていたのもある。大学ってなるとみんなと離れるから寂しくなっちゃうから。だから馴染めていないと感じていたけどみんなはそう感じていなかった。僕もしっかりクラスの一員と思われていると感じてとても嬉しかった。

中学の時の先生も来てくれた。昔話や将来何したいかとかを話した。人生の先輩として経験を教えてくれた。2人とも知らないうちに熱くなって話していた。

毎日毎日誰かがお見舞いに来てくれた。その時に僕は気づいた

僕は1人なんかじゃない。そう思い込んでしまって距離を感じていただけだった


ずっとずっと1人だと思っていた。1人が嫌なわけではないが、1人でもしんどくないし、1人でいる事に慣れてしまっていた。誰かといる時でも1人だと勘違いしていた。

実はみんなに愛されていた。気にかけていてくれた。今までに感じた事のない感情になった。なんて言えばいいか分からないけど、心が豊かになった。白黒だった景色が少しずつ鮮やかになっていく。毎日毎日鮮やかに彩られていった。

極めつけはサッカー部のみんながチャリ走という新しい行事で、僕の病気が治るように各地の神社にお祈りに行ってくれた。監督の粋な計らいだろう。強化練でしんどい事をするのに、きっかけが僕だったらみんな喜んでしてくれたそうだ。距離は確か50kmを5チームほどに分けて各神社を巡ってくれた。

そこでチームごとに僕への応援メッセージ動画を撮って送ってくれた。みんなに愛されてるなってまた感じた。動画が見えないぐらい泣いた。みんな早く会いたいとか早く治してサッカーしよとか言ってくれていた。だがその動画が来る前に担当医からあと1週間後には退院できますと言われていた。僕は泣きながらこう思った。

ちょっと送ってくるの遅いわ。

こうして本当に1ヶ月で退院した。先生も看護師さんも驚いていた。1ヶ月前は歩くのも難しく車椅子に乗せられていたのに、1ヶ月前は文字も書けなかったのに、こんなに早く退院できたのはみんなに会いたいから、心が豊かになったからだと思う。幸福感が病気に打ち勝った。

こういったエピソードがらあって僕は1人じゃないと感じた。

試合に出るだけでみんな喜んでくれた

僕がサッカーする事で関わってくれた人が喜んでくれる。みんなどう思っているかは分からないけど、あの時僕は救われた。その恩返しにもっと活躍したい。もっと大きいクラブでプレーしたい。もっともっともっと。僕がプレーするだけで、同じ病気の人を勇気づけれるかもしれないし、希望を持つかもしれない。同じ家庭環境の人が、道を外さないようなキッカケになるかもしれない、いつか愛してくれる人がいる事を伝えられるかもしれない。僕を見るだけで頑張ろって思ってくれる友達がいるかもしれない。

僕はだからサッカーをやめられない。
だから僕はサッカーが好きだ。
みんなに会わしてくれたサッカー。
1人を紛らしてくれたサッカー。
1人じゃないと教えてくれたサッカー。

関わってくれた人とサッカーに恩返しできるように精進していきます。

よかったら、同じ境遇の人は、インスタフォローしてください!それが僕の活力になります。よろしくお願いします🤲 IG:gens1121






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