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【小説】生き人形(リビングドール)は夢を見る【短編】

祖父の遺言

 変態で偏屈。いくら名声を得ようと、我が愛すべき祖父の人間的な評価はそんなものだ。
 ぼんやりと空に祖父との思い出を描いてみる。

「否定はしないけどさ」

 利明としあきが思い出すのは、初めて知ったサンタクロースという存在を、興奮気味に話したときのこと。確か、枕元に靴下を置いておくと、子どもが欲しいものをプレゼントしてくれるって。そこばかり強調して伝えたのだ。
 今とは違って素直な子供時代。それが真実だと心の底から信じていた。それを聞いた祖父の心中は穏やかではなかったろう。

 クリスマス当日。言われた通りに靴下を準備して、利明はワクワクと胸を高鳴らせて眠りについた。ちなみに、他にクリスマスらしいことは何一つしていない。
 クリスマスだけでない。幼少期、何か特別な行事をした記憶も無い。皆から「かわいそうに」と言われるけれども、当の本人は何も気にしてはいなかった。
 楽しいと感じることも、今から思えば他の子と相当ズレていたのだ。親がいないことを揶揄やゆされたって、どこ吹く風だ。

 あの祖父あって、利明がいる。彼も、相当変わっている。

 ああ、それでクリスマスの話だ。そこに戻ろう。次の日の朝、利明は何を見たと思う?

「靴下には裸の女の子が一人」

 ひと目で人形と分かるが、それはとても精巧にできていた。他の人形のように持ち歩けば、周囲から怪訝けげんな目で見られるだろう。今の利明くらいの年齢だったら、警察に呼び止められるかもしれない。それぐらい、リアルなものであった。
 当時、それを手にした利明は幼すぎて性に目覚めていなかった。彼は漠然と「サンタの趣味はじいちゃんと一緒か」と思ったものだ。

「寒そうだったから、布テープをぐるぐる巻いたんだっけ」
 ミイラ女の完成である。それを持って無邪気に遊ぶ彼を、なんとも言えない表情で見ていた祖父の表情を同時に思い出した。

 そう、その人形を靴下に突っ込んだのは祖父だ。彼は人形作りを生業としていた。老人は老人なりに、サンタのことを嬉々ききとして語る利明のことをおもって行動してくれたのだ。

 そんな祖父の作品は、世界中で称賛されていた。
 「リビングドール」、つまりは「生き人形」。芸術家として、ちょっとした有名人だった。

「もうちょっと早く知ってればなぁ」
 あの人形も高く売れたのに。そんな短絡的な理由ではない。第一、経済面ではかなり支援してくれた。不自由さを感じたことはない。
 無論、今は多少先行き不透明ではあるが、それも大学卒業までは大丈夫である目途が立っている。

 そう、彼の後悔は別のところにある。
「もうちょっと早く知ってれば……絶対にあんなこと、言わなかったのに」
 利明は一度、祖父に怒りをぶつけたことがある。祖父の仕事を気にはしていなかったが、理解していなかった。そのつけが、利明が思春期だったころに襲ってくる。

 当時、気になっていた女の子がいた。その子が祖父の作品を見て、言ったのだ。
 気持ち悪い、と。
 とても、冷たい目だった。それが、成長で不安定になっていた利明に突き刺さった。そして、生まれた衝動のまま、祖父に叫んでしまった。

――今すぐ、そんな仕事やめちまえっ!
 祖父は、ただ黙って聞いていた。そこに張り合いがなくなったのと、後ろめたさを感じて利明はそれ以上何も言えなくなった。しかし、自分は悪くないと思い込んで謝ることはしなかったのだった。

(なんで、すぐに謝らなかったんだろう。馬鹿な俺)
 その時のことを、今でもずっと悔やんでいる。そう、もう、謝ることもできない。

「さて、と」

 たどり着いた実家はほこりっぽかった。帰省の度に掃除していたのに、すぐに汚れる。
「あんなに元気だったのに。ポックリと逝っちゃってさぁ」
 大学を選べなかった彼のせいだが、祖父の死に目に会えなかった。だから、いまだに亡くなった実感がない。
 廊下の奥から歩いてくるのではないか。かすかな気配を感じて振り返るも、そこには誰もいない。

 あまりにも突然の死で利明は整理できていない。葬式で涙が出なかったときは、自分に怒りすら生まれた。
 しかし、こうして誰もいない家を歩くとちゃんと「さみしい」と感じている。祖父の痕跡を無意識に探す自分に安心を覚えた。

「ここは入れてもらえなかったからな」
 彼は、生前祖父が仕事場にしていた蔵の前に立っていた。今日の目的地はここだ。

 遺産の整理とか、知り合いの弁護士に任せている。あの人付き合いのない祖父が名指しで遺言を託した相手だ。利明も少し話しただけで信頼を覚えている。
 そんな彼に、「ここはあなただけしか入れてはいけないと言われています」と伝えられたら。今までどこか恐ろしくて近づくことすらなかった蔵だろうが、開けるしかないだろう。

「うわっ」
 思わず声をあげた。掃除なんてしたことがなかったのだろう。大量のちりが舞う。

 久しぶりの光が中に入る。そこには何体か、作りかけの人形があった。
「生きて、ないな。これは」
 完成品しか見たことがなかった利明は、それを「生き人形リビングドール」と認識できなかった。
「何というか、モノ?」
 芸術品ではあるが、そこには魂がない。そんな批評家みたいなコメントが思いついた。

「仕上げがすごいんだろうな」
 文字通り、祖父は魂を込めていたのだろう。ここで作業する祖父の姿を想像しながら歩いていった。

 一番奥にたどりつく。机の上に、大きなきりの箱が横になって置かれていた。
「……」
 思わず息をのむ。それには、異質な存在感があった。

「開いてる」
 本来なら触れてはいけないものな気がする。しかし、ふたが開き気味で放置されていると好奇心を刺激されて仕方ない。

「俺に開けろって言い残してたんだ。さすがに触っていけないもの置いてないだろ」
 どこか後ろめたい気持ちもあったが、ズレている蓋に手をかけ、上にゆっくりと持ち上げた。

 その瞬間、彼の目は驚きで大きく見開かれる。
「あ、あ、え?」
 動揺で鼓動が早くなる。背中に冷たいものが走った。いくつか、危機管理的な行動が思いつく。

 しかし、その目まぐるしい思考が過ぎ去った後。
「あ。ああ、これ人形か」
 利明は安堵あんどの息を吐いた。

 見た目は十代前半の女の子。全く乱れずに伸びている長い黒髪に、真ん丸の瞳。体を包む和服も清らかだった。その肌の艶が、あまりにも生々しくて事件を疑ってしまったほどである。

 少々不気味だけれども、おそらく利明の記憶に残る祖父の作品のどれもがこれを超えられない。最高傑作だ。
 これこそ、まさに「生き人形リビングドール」。

「ん?」
 その人形が抱えるように持っている本が気になった。
「ごめんね」
 人形が大事そうに持っているように見えたから、思わず謝ってしまう。かなりの年代物なそれを持ち上げた時、挟まっていた紙がハラリと落ちた。

「とっとっと」
 空中で捕まえようとするが、取り逃して地面まで落ちてしまった。しゃがみこんで拾おうとした。
 だから、決定的な瞬間を見逃してしまったのだ。

「もうっ! 利通としみちさんっ。掃除できないのなら、せめてしっかり閉めておいてくださいっ!!」
「はいっ!?」
 いきなり背中から大声で怒鳴られた。心臓が飛び出そうになる。

 恐る恐る振り返ると、声の主が目をゴシゴシとこすっている。
「ゴミがこんなに。私の目、傷つかなくても痛いんですよ」
 ようやく痛みがひいたのか。それは顔を上げて、利明をじっと見つめていた。

 彼はその間、あまりに不可思議な出来事を前に黙って立ち尽くしていた。

「あれ、利通さん。ちょっと若返りました?」
「俺は利通じゃねぇ。利明だ」

 あまりにも緊張感のない声に引きずられるように自分の名前を答えてしまった。

 それが比喩ではなく文字通りの生きている人形、椿つばきとの出会いであった。

 衝撃の出会いの後、利明は古びた本の達筆すぎる字と格闘していた。分かったのは人形の作り方が書かれているということ。しかし、内容がオカルト過ぎて理解が追いつかない。

「死者の復活? 反魂の術? 人間の骨を原料って」
「信じられません?」
「いや、おまえ見てたら疑うところの方が少ないというか」

 椿は利明の横にちょこんと座っている。寝ている時は人間と見間違うほどだったが、こうして動いている姿を見ると、滲み出てくる違和感が彼女を人形だと伝えてくる。

 一番の違和感は。
(こいつ、まばたきを全くしないんだよな)

 本当であれば気味が悪い存在。そんな彼女が横にいても利明が平気な理由。それは本に挟まれた祖父の手紙を見たからだ。

『利明へ。どうか、椿を人間にしてやってくれ』

 簡潔すぎる。そんな短い言葉が利明の心を打った。
 祖父が、彼に、何か頼み事をする。そんなことは祖父との思い出の中に一つも無かったから。

「私は、流行病はやりやまいで死んだ子どもだったそうです」

 椿は自分のことを伝聞調で語っていた。
 長く存在している間に、記憶はところどころすり減ってしまった。今は直近のことしか思い出せないらしい。
 それだけ、長い間、この家に受け継がれて、ずっと生き続けてきたのだ。

「何で、俺はおまえを一度も見てないんだ?」
「それは、私から眠らせてもらいましたので」

 祖父が祖母と結婚した頃、椿は自ら箱の中に戻った。
――こんな偏屈者はきっとすぐに一人になる。そしたら、また一緒に人間になる方法を探そう。
 祖父と、そんな約束して。

 約束。その言葉を聞いて、利明の胸は痛みを感じた。
「俺のせいだな。約束、守れなかったの」
 俊明の母、祖父の娘がようやく結婚できて、家を離れた。だが、すぐに交通事故で亡くなってしまったのだ。生まれたばかりの利明を残して。
 祖父は両親の代わりに利明をここまで育ててくれた。その分、祖父は約束に使える時間をなくしてしまったのだ。

 きっと、祖父は利明を大学に送り出す時はすでに死期を悟っていたのだろう。利明はそう思った。
 だから、遺言をしっかりしていたし、椿を封じていた本と一緒に手紙を隠しておいた。これを開けるであろう利明に向けて。

 そして、託したのだ。自らが叶えてあげられなかった約束を。利明に。
(ポックリ死んだと思ってたのは俺だけ。なんて、間抜けな話だ)

 だからだろう。祖父が手紙に残したあの短い一言に、相当な無念を感じるのは。

 横に座っている椿を見る。
「やれるだけやってみるよ。それでいい?」
「はいっ」
 椿はうれしそうに微笑ほほえんだ。やはり、その笑い方は少し変で、ぎこちない。

 何をしていいかも分からない。何もできずに、椿を落胆させるだけなのかもしれない。
「とりあえず、風呂入るか? なんか……かび臭いし」
「乙女に言う言葉じゃないですよ。利明さん」
 膨らまないほおを膨らませようとする椿。そんな彼女の、本当に笑った顔を見てみたと利明は思ってしまっている。

(今はそれだけで十分だ)
 祖父の願いと、このちょっとした自分の願いがあれば前に進んでいける。

 そうやって、この「生き人形リビングドール」が見る夢に付き合ってみるのも悪くない。そう、利明は思っていた。


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