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【#推し活】「推し活」のすゝめ〜推しができたら人生が豊かになった話〜

※このエッセイは2021年に別サイトで別名義で掲載していたものです。サイトが閉鎖してしまったため、こちらに加筆修正して掲載し直すことにしました。

私は、自分が嫌いだ。

それこそ、自分の嫌いなところを書き出せと言われたら、それだけで卒論3本は書けちゃいそうなくらい。世間では、私のような人間のことを「自己肯定感が低いやつ」というらしい。

これは、そんな私が推しと出会って少しずつ人生を豊かにしていく、現在進行形のプロジェクト。

推しとの出会い。


私がいちばん最初の推しと出会ったのは、高校3年生の初夏だった。部活を引退して、熱中しなきゃいけないものが勉強しかなくなったときのこと。

なんとなくニュースを眺めていたら表示されていた「国宝級イケメン」の記事。何気なくクリックしてスクロールしていた先に、彼がいた。

ちょうど弱っていたところに現れた、私のタイプにドストライクのイケメン。

まさに、これこそ運命の出会い。

…と言ったら、少しだけ語弊がある。
実は私は、彼のことを知っていた。前に見ていたドラマに出ていて、かっこいいなと思っていた男の子だった。ドラマが放送している間は名前を調べるだけで満足してしまっていたのに、まさか彼とまた出会えるとは。

やっぱり、運命なのかも。

私はあっという間に彼にのめり込んだ。Twitterが、Instagramが、YouTubeが、TikTokが、推しのことを知るのにこれほど役に立つなんて知らなかった。

最初は、顔が好みだったから好きになった。今ももちろんかっこいいことに変わりはないが、彼を知るにつれ、彼の内面も——メンバー想いなところも、お仕事に対するストイックな姿勢も、自分の「好き」を貫き通すところも——好きになった。

彼を推し始めてもうそろそろ2年になるが、彼がきっかけで私の推しの人数は着々と増えている。

推しに救われた。


それまでの私は、こんなに誰かにも何かにも夢中になったことはなかった。むしろ、ファンとかオタクとかいう言葉からはいちばん遠いところにいたと言っても過言ではない。音楽もあまり聞かなければYouTubeも見ない。嫌なことはただひたすら耐えて、日々変わらない生活を送ることでせいいっぱい。正直、娯楽とは無縁だった。

そんな私が、推しに出会って変わった。

しんどい日も、推しの紡ぐ言葉や音楽に励まされた。歌ったり、楽器を弾いたり、踊ったり、演技したり、推しがステージの上できらきらと輝く姿を観ていると、暖かくて優しい気持ちになれた。推しの満面の笑顔を見るだけで癒された。推しを観ている間だけは、その日あった嫌なことを忘れられた。

自分も他人も嫌いだった私の前に現れた推しは、ファンのことをすごく大切に思ってくれて、私たちを絶対に否定しない人だった。親にも自分自身にも否定されていた私にとって、「私を否定しない人」というのは特別な存在で。「応援してる」とか「頑張って」とか、何気ないように聞こえる言葉も、推しが言えばそれは魔法の言葉。あぁ、好き。「お誕生日おめでとう」なんて言ってくれた日には天にも昇る心地だった。

もちろん、これらの言葉が私だけに向けられているわけじゃないことは十分承知している。でも、「大丈夫。みんなの声、ちゃんと届いてるよ」なんて言われたら、愛を届けたくなるし、推しを信じたくなる。

私にとっての推し。


全ての原動力。
それが、私にとっての推しの存在。

別に、推しのことを神格化しているわけではない。ただ、ひたすらに、憧れているだけ。彼らのように、誰かを幸せにできるような、魅力的な人間になりたくて。

推しに出会って、私の人生は豊かになった。たくさんの癒しと笑顔をもらった。自分のことは嫌いだけど、こんなにステキな推しを推せている自分のことだけは、嫌いじゃなくなった。

そして、もうひとつ、推しに恥じない自分でいたいと思うようになった。私は、推しのような立派な人間には逆立ちしたってなれないけれど、それでも少しでも推しの目に映る自分が魅力的であってほしい。その想いがあるかぎり、きっと私は頑張れる。

いつか推しに会えた時に、直接伝えたい。せいいっぱいの感謝と、ありったけの愛を。

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