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「忘れられない日本人 民話を語る人たち」小野和子 感想


発行:PUMPQUAKES(パンプクエイクス)

 民話採訪者の小野和子さんが東北の村々を訪ね歩いて50年あまり。旅の先々でめぐり会った民話を語る人たちの人生と思い出を語る随筆集。
 前作『あいたくて ききたくて 旅にでる』(2019年)が累計1万部突破し、同作で「鉄犬ヘテロトピア文学賞」「梅棹忠夫 山と探検文学賞」を受賞した民話採訪者・小野和子による第二作目。
  著者に「民話」を託したそれぞれの語り手の、厳しくも豊かな生のおもしろさ。果てしない知性を宿した「忘れられない日本人」たちの、生きた姿を伝える。

PUMPQUAKESより引用


「 忘れられない日本人 民話を語る人たち 」
             小野和子

 前作の「あいたくて ききたくて 旅にでる」が好きだったので、今回の2作品目も迷わず購入しました。
ブックカフェ火星の庭さんで購入


 今回は語り部たち8人にスポットを当てた、彼らの人生と思い出をまとめたもの。
 常々、『人の一生は文学になる』と思っていたが、今回の本書を読んでますますそう感じました。それと同時に、それにあてはめてしまうことでさえ、はばかれるような、無知の羞恥も湧いてくる。自分が感じて受け取る以上何倍もの辛さや、喜びや痛みがあって、そして幸福もあって、私個人の物差しでそうなんだと決めつけることがやはり安易に感じられてしまうのです。
 小野和子さんが出会って聞いてきた人たちの生の民話は、彼らにとって枷のような宝のような、記憶にこびりついた紋様が、鮮明に伝わってくるようでした。きっとこれは小野和子さんだからこそ、記し伝えることができるのでしょう。


〈 印象的に残った文章 〉

第一章 佐藤とよいさん

『 川の流れだって、いつもきらきら流れているわけでもねえべ。滝もあるし、ぶつかる岩もある。 それでも流れ流れて大海さ出る。おれの一生にも、大きな滝が二つあったぞ。 だけんど、こいつは他人にしゃべらねえ。黙って、あの世まで持っていくつもりだ。 おれは川の流れのように、一生笑い浮かべて暮らすべと思うよ。 他人には、まずい顔を見せねえで……。』 
 とよいさんは、こう言って口をすぼめて笑いました。
「川の流れのように笑い浮かべて暮らすべ」
 こう語るとよいさんの慈愛に育まれ、語り出された民話の数々を聞かせてもらうしあわせに、わたしは巡り合っていたのでした。それは深い山奥の集落で、何百年をかけてひっそりと語り継がれていた無数の物語の群れでした。
 日本文化の高い峰を土台で支えてきた名もなき人々の血脈が、そこには数えきれない「滝」を秘めて横たわっていたのです。

第一章 佐藤とよいさん 9〜10頁

  佐藤とよいさんの家には、暫し登山客が宿を求めにやってくることがあった。近くの飯豊山に登山へ来るものの山深き奥田舎のため、宿はなく、度々とよいさんは、そういう彼らのために自分の家を休息地として提供していた。そうやって一宿一飯のおかげで客人にとって、とよいさんは「命の恩人」になっていった。それが、後々とよいさんが助けを必要としたときに、あのとき助けられた客人たちが、彼女を手を差し伸べることになる。彼女の人徳のなせるわざなのでしょう。そして、恩返しは、無欲の人にこそ返ってくる。

第四章 佐藤玲子さん

「わたしが子どもの頃の雛は土人形だったのしゃ。火事で焼けてしまったけど。こんな立派な雛段なんか でねえの。仏壇の引き出しにしまってあったものねえ」
 そういえばこれまで、わたしは東北の農村を歩いていて雛飾りを一度も目にしたことがなかったし、それについての話も聞いたことがなかった。あらためてそれに気が付く。もともと、平安時代の宮中で生まれた立ち雛に端を発し、時代がくだって室町、江戸時代になって裕福な町人たちの嗜好によって今日のような形になったというから、それが東北の農村に定着しなかったとしても当然のことであったと思う。

第四章 佐藤玲子さん 154頁

 当たり前と思っていた雛飾りも地域が変われば当然それは当たり前じゃない。裕福な人たちにとっての当たり前の押し付けは、今でも散見される。それに気づくこと、そして直接会って家に入って話すからこそ、その地域に住む人たちの生活と営みを知ることができるのでしょう。

第七章 伊藤正子さん

 最後に正子さんにお会いした日のことを、わたしは忘れることができません。若い友人と一緒でしたが、久しぶりに玄関に立ったわたしを見て近寄ってこられると、わたしの腕を強い力でぎゅっと掴んで離されないのです。
「上がれ。上がれ」
と、掴んだ腕を引っ張られるのですが、この姿勢では靴を脱ぐことができなくて、わたしは困りました。両腕を正子さんにとられたまま、わたしは足をすり合わせて靴を脱ごうとしたのですが、バランスを失っ て、正子さんもろともばたんと、玄関のたたきに倒れてしまいました。
 その時の正子さんの身体の軽さと、すでに九十歳の坂を越えて体も弱っておられたのに、わたしの腕をしっかりと掴んだあの強い手の力とを忘れることができません。

第七章 伊藤正子さん 261頁

 語り部のエネルギーというか『 熱 』を感じることができる一幕。
 聞きたい人間がいて、語りたい人間がいて、互いに思うように会いに行けない中で、たまりにたまった言葉と感情の本流、小野和子さんが訪問したと同時に爆発した瞬間だった。

 本書から3点をあげさせていただきました。
 最後に小野和子さん自身の母親について書かれた『最終話にかえて 商人の妻』があります。そこで、小野さんの母が言った、

「生きてるってことはゴミがでることなんだよ」

という言葉が印象的でした。またそれを引用するように小野さんは、

わたしはわたしのゴミを見つめて、今日を生きています。

と結んでいます。愛情深い関係が伺えますね。
 親と子の繋がり、語る人と、聞く人と、読む人がいて伝わっていく、その一端にふれることができてよかったです。
 人と人の縁が薄くなっていく中で、体温を感じるような貴重なお話の数々に、また私もこの 忘れられない本 として今後も機会があれば、ご紹介し続けていきたい。


 2024年5月22日読了

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