第2回Q&A キャラクターづくりの原則
A :GK
深みのあるキャラクターを簡単に作る方法があります。
「自分」のことを書けばいいのです。
「誰でも一生に一作くらいは小説を書ける」とよく言われますが、自分のことをキャラクター化した小説ならば誰にでも書けるということなのでしょう。
世の中にあるオリジナルストーリー(特にデビュー作)のほとんどが「作者自身」が主人公だともいえます。
そもそも、多くのゲームはプレイヤーが自分を主人公と重ねながらプレイするものです。
「自分」をキャラクターとして描きやすいのは、自分の話は切実だからだともいえます。
けれども自分を描き続けるのには限界があります。
プロとして書き続け、作り続けるためには「自分以外」のキャラクターを発明できるようにならないといけない。
では、どうするか。
小説、漫画、映画、ドラマ、アニメ、ゲーム、さまざまなキャラクターの作り方があると思います。
ですから今回は、僕が考える「キャラクターづくりの原則」のなかから、二つほどお伝えできたらと思います。
一つ目は、そのキャラクターが置かれている状況が「切実」であること。
お金持ちで、家族が仲良しで、仕事も順調な主人公が、YouTubeを始めてみる。
そんな人の話を、観客は見続けようとは思いません。
けれども、その主人公の家族全員が、ある日突然行方不明になってしまったとしたら・・・その行く末は見るに値するでしょう。
ことほど左様に主人公が置かれている状況が「切実」であればあるほど、その物語は魅力的になります。
多くの人にとって一番「切実」な状況は何かと考えると、「死ぬこと」です。
ほとんどのゲームは「死なないように頑張る」ことで成立しています。スーパーマリオもゼルダもドラゴンクエストも、どうやって主人公が死なないように前に進めるか、が前提になっています。
映画や小説のヒット作では、たびたび主人公が余命わずかの病になったり、戦争に送り込まれたり、生き残りをかけたゲームに巻き込まれます。
同じくらい「切実」なことは、「愛したり」「愛されなくなったり」することです。
主人公が初恋にときめいたり、失恋に悶え苦しんだり、恋人の記憶喪失に絶望する。
ラブストーリーが普遍的な理由は、登場人物たちの状況を読者や観客が切実に感じるからです。
「愛した人が死んでいく」
このプロットが不滅なのは、この二つの切実さが掛け合わさっているからなのでしょう。
ですから「切実」であるかどうかは主人公にとって必須条件だといえます。
そして、あまたの物語があるなかで、凡庸な切実さではキャラクターは魅力的になりません。
乗っていた豪華客船が沈んだり、未来から来たサイボーグに命を狙われたり、自分の生徒に娘を殺されたり、ツレがうつになったり、妹が鬼になったり、切実さの発明=キャラクターの発明だといえるでしょう。
大それた設定の、大仰な切実さだけが、面白いとも限りません。
「買い物に行く」ことに切実さは感じないけれど、「ちいさな子供が、初めてひとりで買い物に行く」とするとそれは切実になり得るように(僕は毎回泣いてしまいます)。
そしてその切実さがユニークであればあるほど、キャラクターを魅力的にします。
「唐揚げにレモンを絞るか絞らないかが気になる」という切実さだけで、そのキャラクターを愛せてしまうように。
最近僕は、そういうユニークな切実さをずっと探しているような気がします。
キャラクターづくりの原則。
その2つ目について考えていきましょう。