仕事してたとき嫌だったこと①

仕事の相談が相談にならない

どういうことかというと、僕が思う相談の定義は"さてどうしましょうか?" だ。

しかし実態は、そんな丸腰は許されない

ほとんどの場合、"これこれこんな事態なので、こう対処していきます"という結論を持った状態で相談に臨むことが求められる(仕事なら当然かもしれないが)。

それならば相談ではなくただの報告である。


もちろん、時として"これこれの視点が抜けているのでこうした方がいい"というアドバイスを貰えるかもしれない。

しかしそんな天才的アドバイスはほとんどなく、たいていの場合は「時間を割いて集まったからには何か一言でも言わないといけない」という義務感で、重箱の隅をつつくようなどうでもいいアドバイスで余計な仕事が増えるだけなのである。


また、"こういう方針で対処します"ということを組織として承認する(=上が責任を持つ)という面もあろう。

それにしたって、対処方針がまずかった場合でも結局は発案・実行する者の責任が0になるわけではないし、間違った対処へ費やされた時間は実行する者のみに課される損害だ。


さらに、時間という話で言うと、相談を承認の場として使うなら、他人を拘束する時間はかなりスリムであるべきだ。

そうなると、結局は有意義なアドバイスを貰うという"相談の本質"から遠のく気がしてしまう。

他人からのアドバイスが必要ないほど頭のキレる人は、そもそも方針立てを誤ることも少ないだろうから、そんな場も必要ないのである。


僕はドゆとり社会人なので、自分の頭で考える力がなく、それを自覚しているからこそ相談をしたいのである。

自分の頭で考える力がないという点については、それ自体が一つの大きなテーマになるので、仕事してたとき嫌だったこと②で書くことにする。

頂いたサポートは、僕のプロテイン代となり、文字通り血となり肉となります。 そうやってエネルギーを充足させられれば、きっとよりよい連載が続けられる気がします。