休職は緩やかなストライキ

こんばんは。
復職延期を決めてから、穏やかに入眠できる日常を取り戻した僕です。

さいきん、無理なモンは無理とハッキリ言わんとダメやなぁと思うとります。
いま僕は休職していて、まさに無理をしない生き方をしているわけですが、周りには結構無理している人がいます。
働いていたら多少の無理はあって当たり前かもしれませんし、働いていなくても、例えば部活や習い事でも色んな無理が見受けられます。

僕は、これらの無理はズルとも言い換えららると思っています。

どういうことかというと、例えば中高生の部活は放課後の夕方2時間程度が通常であるのに対して、平日の昼間でも堂々と授業をサボって練習するのが許されているようなイメージです。
他校の生徒はきちんと学生の本分である勉強をこなしつつ部活の時間を確保しているのに、圧倒的練習量の差で成果を出そうとしているようなことです。


仕事上の"無理"でいうと、例えば同期との出世争いで頭一つ抜きん出るために、闇残業をしたり、休日返上で資格試験の勉強に取り組むというのはよくあると思います。
こういったズル無理を、人より出世したいといった自分の意思でやっている分にはまだいいでしょう。

しかし、世の中には、自分の意思とは一切関係のない、やらないとどうしようもない残業が溢れかえっているように思います。

なぜ、やらないとどうしようもない状態になるかというと、それは最初の設計がまずいためです。

例えば、営業部が取ってきた案件を開けてみると、他社から抜きん出ようとして無茶な納期設定がされているとか、成功報酬が安すぎるとか、ズルのしわ寄せは現場に行くのです。

日本中に職場というものがいくつあるか見当もつきませんが、おそらくものすごい数の職場で小さなズル無理が積み重なり、それが日本という大きな視点にまで集まった時、大きな力となり、戦後の高度経済成長を支え、日本を世界的な経済大国へと押し上げたのでしょう。
それが当たり前という時代が何十年も続いて、皆が皆、ズル無理ズル無茶を積み上げる前提の労働力設計がなされているのだと思います。

そして、その歪みは今や爆発寸前です。
ひと昔前までは、人口爆発のおかげで無茶も何とかなっていました。
しかし今は、見渡す限りどこでも人手不足です。
年金世代4人分を労働者1人で支えなければならないという無茶にも表れている通り、無茶は何倍にも膨れ上がっています。
こんなんで社会が成り立つ方が意味不明です。


もう、そんな労働力設計を根本的に見直す時が来ています。
無理なモンは無理。
僕は、時代の先駆者として、堂々と、もうしばらく休職したいと思いま〜す✌️

以上

頂いたサポートは、僕のプロテイン代となり、文字通り血となり肉となります。 そうやってエネルギーを充足させられれば、きっとよりよい連載が続けられる気がします。