人に気を遣いすぎてつらい人へ

人に気を遣うことの"キリのなさ"を理解したら、ちょっぴり行動できるようになるかもしれませんよ。

さて、突然ですが今日あなたは歩きましたか?
寝たきりの人や、足の不自由な人以外は、どれだけ引きこもっていたとしてもトイレなどで合計50歩ぐらいは歩いたのではないでしょうか。


先に答えを言ってしまいましたが、寝たきりの人や車いすの人は自分の足では歩けません。
彼らからしたら、自分の足で歩ける我々あなた方は、羨ましい存在かもしれませんし、街中で車いすの自分を誰かが追い抜く度に「なんで俺が……」と思っているかもしれません(し、もちろんそうでないかもしれません)。

では「街中で足の不自由な人に遭遇してその人が自分の境遇を嘆くかもしれないから、それに配慮して自分の足で歩くのはやめよう」なんて考えますか?
そんな人はいませんよね。私は聞いたことないです。

そう、配慮のしすぎはキリがないんです。

もっとキリのないことを言うと、
「いま私が生きていることは、戦争で死んでいった人からしたら羨ましくて憎たらしくて悲しくて色々ネガティブな感情を引き起こすだろうから、その霊に配慮して私ももう生きるのをやめよう」なんてことになってしまいますし、
じゃあ自殺しようとしたらしたで、自殺したくなるほどの逆境の中を生き抜いている人に反感を買うかもしれないし、自殺のニュースを見て、自殺した家族を思い出して悲しい気持ちになる人が日本中のあちこちにいるでしょうから、自殺することもままならない。
全員に配慮しようとしたら、生きることも死ぬこともできない、身動きが取れないことになってしまいます。

こういう極端な例であれば、それは考えすぎだと分かるのではないでしょうか?
もし、あなたが人に気を遣いすぎてつらいなら、そしてそのせいで行動力を失っているようであれば、その気遣いのキリのなさを見つめてみてはいかがでしょうか。

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