私のお勧め本=夜と霧
ヴィクトール フランクル
「夜と霧」
子供のころから読書はとても好き。
といっても学校の課題図書や著名な賞を獲得するような本は
ほとんど読んでいない。なぜなら強制されて読んでも頭に入らないから意味がないと思っているので。
父親が出版業界にいたため 自宅には家の床が抜けるのでは?と思うほどの大量の本がありました。
もはや自宅が図書館だったため、題名に興味がそそられるものは片っ端から読んでみました。
あまりに難解で途中でやめた本ももちろんありましたが、多種多様な本の中で 自分の興味関心の高いものが見えてきて、自分の価値観の醸成にも役立ったと思います。
唯一学校の宿題で意味があったと思えるのは 読書感想文。
中学生の頃 むさぼるように読書にはまった時期は2日で1冊のペースだったため、備忘録として宿題で教わったあらすじと感想をノート1ページに上下に分けてまとめていた。
おかげで自分の感想を素直に文章にする癖がついた(文章の上手い下手は別・・・)ので、自分の考え、思いを即座に話す習慣がついてきたのはありがたかった。きっとただ本を読んでいるだけでは 得られなかっただろうと思います。
さて、今回は 私が最も読んでほしい本について ご紹介したいと思います。
この本は 課題図書になっている国もあるほど、広く世界で読まれています。
日本でも1956年に刊行されたナチスの占領下においてユダヤ人医師が体験した収容所での光景をまとめてます。
敗戦後11年で この本の翻訳や出版に携われた方たちの労苦を考えると心が熱くなります。
目を覆うような悲惨な描写もありますが、訴えたいことはその中で どう生きたか、という大きな問題について 明るい光を見せてくれています。
著者のヴィクトール・フランクル先生は ユダヤ人の精神科のお医者さんです。
時代はナチスドイツ。アウシュビッツ強制収容所などいくつかの収容所を転々と移動されられました。
家族とも引き裂かれ、自分の人生どころか名前すら奪われ、これ以上ないほどの絶望感の中で生きている人の中の一人です。
ガス室に送られる人を見送り、日々の食事もとれない中で精神的にもたなくなり,異常になってしまう人を見届け、そんな中でも 自分の魂を失うことなく 生還し、その後 大きく社会に影響を与える本を書くことができた彼の信念の強さとは一体なんだろう、、、
「トラウマ」という言葉 頻繁に使われますが、本来 トラウマの意味は 命に係わるほどの恐怖体験が その後 普通の自分らしく 生きていけないほどの影響を及ぼしていることをいいます。
今 ちまたで使われているこの言葉に どれだけ命の危険があるのでしょうか。
それも人それぞれの感じ方の違いもあると思いますから、一概に線引きすることは不可能ですけれど。
「線引き」 まさに この「線」が どこにあるか、で 人が困難な状況でも生きていられるか 死を選ぶか 大きな境目があるのだと思います。
フランクル先生曰く、自分が生還できた一番の理由は 「戻ってからやるべきことがあったから」
先生は 強制収容所に連行される前に 医師として人の役に立ちたいと思い、一冊の本の書いていました。
肌身離さず その原稿を身につけていましたが、当然それも没収されてしまいます。
ですが、先生は諦めず、機会があるごとに書き続けます。自分が書いたものですからなんとか思い起こしながら。。
彼には戻ってから本を出版して 世の中の役に立ちたいと願う気持ち すなわち 「希望」 が彼の生きる「線引き」をぐん!と持ち上げたのではないか、と思います。
「希望」 これは 「強い目的」 ともいえます。
強い目的が 最悪な環境下の自分の身を守ってくれる という見方もできると思います。
そして もうひとつ、私がとても感銘を受けた部分があります。
ユダヤ人迫害は ドイツの党首による悪行でした。 強制収容所の中では ドイツの看守のもとに ユダヤ人が 見張りとして立てられていたそうです。
見張り役になるユダヤ人は自分が生き残るためにに仕方がなかったのかもしれません。
それでも、その行動自体は非難されてしまうでしょうが、彼なりの「生きる道」がそこしか見いだせなかったことを全面的に非難することは難しいと私は思います。
終戦後、アメリカが各収容所からユダヤ人を解放しました。
その時収容所の所長や看守はアメリカ兵に連行されたのですが、フランクル先生が最後にいた収容所では、彼らを処刑しないで 公平に裁判をしてほしい、とユダヤ人収容者たちが懇願したそうなのです。
その収容所の所長は 病気になったユダヤ人捕虜に対し、ポケットマネーで薬を与えたり、ひどい仕打ちをしなかったのだそうです。
逆に収容者たちが 見張り役だったユダヤ人を 解放されたときにボコボコにした、ということもあったようですが。
もう誰が敵なのか見方なのか わかりませんね。。。
戦争は国同士の戦いです。 国が示したことに逆らうことは難しいでしょうが、あの戦火でも人の心をなくさないドイツ兵もいれば、自分の保身のために身内をひどい目に合わせようとするユダヤ人もいる。
どちらも同じ ニンゲン です。
ニンゲン を語る上で 国籍、国名でまとめてしまうことは大きな間違いを引き起こしかねない・・・
国名で考えると 個人の顔が見えません。 戦争は国単位で行いますが、実際に戦わされるのは、一人一人のニンゲンです。 顔が見えたら 争い事は躊躇するように思えませんか?
だからぜひ 国で見るのではなく 一人一人の顔を見てほしい。
子供が泣いている写真を見て どう感じるでしょう。
一緒に悲しい気持ちになったり、、、 あらら・・・何があったの?、、、と思ったり、、、知らない人であっても 悲しい気持ちを共有してしまうのでは・・・
その気持ちを持ち続けることで 平和が訪れることを期待したいと思います。
「環境に負けない自分づくりの考え方」と「人を国で識別し、何人(なにじん)、という見方は差別と悲しさしか生まない」という2点が 私がこの本を読んで、強く感銘を受けた点です。
ぜひ手に取って読んでいただきたいと思います。
フランクル先生は のちに「実存主義」の理念から ロゴセラピーを創設しました。
「意思の自由」 「意味への意思」 「人生の意味」 の3つの仮説から
= 人生の意味を見出している人は 苦しみにも耐えることができる =
まさに彼が戦争中に味わった辛い経験から得られた理念なのでしょう。
このような悲しい歴史に胸を痛めるとともに、これからの自分たちの社会を作っていくための教訓にしていくことが 世界平和につながっていくのだと思います。
「自分の人生に意味を見出したもの勝ち」 ですね!
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