見出し画像

旅行先での首都圏差別の合理性とリスク

各地の観光施設での首都圏差別が広がっている。

例えば、施設の入口に「東京からの旅行者は利用不可」との記載があったりする。

これは予防策として重要である一方で、明らかな未感染者でありながらも利用を断られた人は不満を持つだろう。

しかし、これは感染拡散防止の観点から仕方のない対応であり、利用者側が意識的に広い心で看過すべきである。

ただ、筆者ももし直接的に利用を断られ、その時の対応が癪に障れば、もう2度と利用しないし、身内にもこんなことがあったから今後利用すべきでないと話してしまう気がしてならない。

それが人間の心情というものだ。

嫌いになってしまう気持ちも、それはそれで仕方のないことだと思う。


施設側の対応は大変難しい問題で、

①感染者を受け入れてその施設から感染者が出てしまえば一発で廃業となってしまうため、止むを得ず首都圏からの旅行者を締め出し、彼らの憎悪を甘んじて受け入れる。

②首都圏からの旅行者を締め出すと、彼らに憎悪を持たれることになる。それにより長期的にには首都圏の顧客を減らすことになるので、将来の業績の安定を勘案して首都圏からの旅行者も受け入れる。

このどちらの選択肢を選ぶかの問題だ。

これについて正解はない。

最良のストーリーは、②で首都圏からの旅行者も受け入れた上で感染者を一人も出すことなく営業を続ける場合であるが、これはもはや全てを「運」に委ねることになる。

保守的に①の道を選んだとしても感染リスクはあるが、事故の確率を下げることはできる。

そういう意味で、首都圏旅行者に忌み嫌われながらも存続した方が、「短期的に」倒産することからは逃れられるので、こちらを選択する施設の方が多いだろう。


ステイホームと言われ続け、労働環境・生活環境は一層ストレスフルになる一方で、たまの休みにカネを払っても歓迎されないことは更なるストレスとなるが、やはり鎮静化を迎えるまでは心のケアを十分にしつつ、耐え忍ぶしかない。

そして、鎮静化後に首都圏のみならず地方ににもカネを落とすようにしてゆくことが全体として最適な行動となるだろう。


ステイホームももう限界という人も多いとは思うが、こんな時こそ「コンテンツを固めて吸収する」のにピッタリな期間だ。

筆者はこの期間でウォーキングデッドの「一気見」をしたが、これが本当に良い作品だった。

ただのゾンビモノ・スプラッターモノではなく、人間ドラマがあって、常に次のエピソードが気になり続けた。

また、書籍の多読も行った。例えばKindleであれば、紙の本と違ってタイムリーに読めるのでコンテンツに時差なしでアクセスできる。

収束まで「あと一歩」なのかどうかは誰にもわからないが、昨日よりは収束に1日は近づいているので、今楽しめるものを楽しみつつ、気長に待ち続けよう。


※ブログはこちら






この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?