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人生を変えた税理士の話

新卒で就職した証券会社で新規開拓営業をしているときに、証券税制の冊子の無料プレゼントの希望アンケート葉書を会計士・税理士事務所に送りまくっていたら、結構反応が良かった。

希望があった時は公認会計士・税理士の先生にアポをとり、持参しつつ証券口座の開設を粘るというスタイルだ。

すぐに口座開設してくれなくても、通い続けているうちに開けてくれる先生もいた。

そこで公認会計士や税理士がどういう仕事をしている人たちなのかをなんとなく知った。

いろんな先生に会う中で、恰幅の良い強気な先生に出会った。

武道は黒帯、地元のラジオDJなんかもやっていて多才な人だった。

その先生は最後まで口座を開いてくれないどころか提案も聞いてくれなかったけれど、一度飲みに連れて行ってくれたことがあった。

連れて行ってくれたといっても、支払いは割り勘だったが。

そこで先生は「パンの道」という言葉で仕事を表現していた。パンの道とは、どうやってメシを食っていくかという話だ。「この先、君は何をしてメシを食っていくのか明確なビジョンはあるのか」という問いに対し、「証券営業に決まってるじゃないですか」とは回答できなかった。

証券営業の仕事ははっきり言って全く好きではなかった。支店に配属される前から嫌な予感がしていて、配属後すぐにこの仕事を続ける意志がないことを悟った

間違えた就職をしてしまったのだ。

ただ、こればっかりはやってみるまでわからないので仕方がない。

パンの道の質問に対して明確な回答ができない中、先生は筆者が今の仕事に納得していないのを見て、「君みたいな優秀な人がそんな事やっていても仕方ないよ」と言ってくれた。

もちろん、先生は提案もさせてくれず筆者の仕事ぶりなんて1ミリも見てないわけで、優秀かどうかなんて判断の要素もないため、文脈からぽろっと出た第三者的で無難な激励でしかないけれども、そのことが意外と筆者の退職の意思決定を強く支えてくれた

というのも、当時他に誰も退職の背中を押してくれる人がいなかった。今でこそ新卒で入った会社を秒速で辞めても「合わないならさっさと辞めたほうが合理的だよね」という感じだけれども、2010年頃は未だに「新卒で入社した会社は3年は続けろ」という謎理論が圧倒的に強かった。

友人に相談しても口を揃えて「今のところでもっと頑張ったほうがいいよ」と言った。

そうは言っても、本当にもうどうしようもなくやりたくなかった。頑張るも何も、そもそもやりたくないのだから無理な話だ。

むしろ矛盾を抱えながらよくも2年も耐えたと思う。

退職の意志が固まった頃には筆者は公認会計士を目指すことに決めていた。これは営業を通して公認会計士・税理士の先生と話す機会が多かったことに加え、ふと立ち寄った本屋で公認会計士の合格体験記を読み、仕事の方向性に共感できたことと、たまたま合格者として高校の同級生が載っていたことから、「同級生が受かるってことは俺も受かるんじゃないの?」という安易な発想に基づくものだ。

そんな中、開業歯科医師だった従兄弟に士業つながりということでなんか良いアドバイスもらえないかなとメシ食って相談したところ、前向きな話が聴けると思いきや、やっぱり「3年理論」で一蹴された。また、従兄弟が友人の会計士を見ているとお前が会社辞めて目指しても受かるような試験ではないというようなことも言われた。

一方で親は筆者の意思に従うと言ってくれたが、大学までかけて掴んだ仕事を2年で手放すなんて本当に申し訳ないという気持ちでいっぱいだった。

自分としても不安はある。これだけ皆が口を揃えて「3年、3年」というのだから、実際に何かあるのだろう。やはりあと1年いたほうが良いのではないか?と辞めることが段々怖くなってきていた。

そんなこんなで葛藤の狭間にいながらも現状に耐えられず、最後は先生の言葉を信じて「えいや」と会社を辞めて、寮を引き払って実家に戻った。

そして結局退職の翌年に会計士試験に合格し、絶対受かんないとかいうのは一体なんだったんだろうという感じだったが、まあ結果オーライだ。

就職についても2011年入社は過去最悪の就職氷河期と言われていたが、3大監査法人はすべて内定を得た。3年働かないといけない理論とはなんだったんだろうという感じだったが、これも結果オーライだ。

結果、自分の内側から溢れ出る意思に従ったら幸せになった。

世間の常識に従う必要なんてない。現実は常識の通りとは限らない。

嫌なものは避け、避けていても直面してしまった時はきっぱりと辞め、自分の思うままの道を進めば良い。

「パンの道」の先生の激励はしっかりと成果に繋がった。先生には非常に感謝している。


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