源氏物語の色 12「須磨」 ~月の光から見える色~

ーーー政敵である右大臣の娘、朧月夜との関係が発覚し、自身の情勢が不利になりつつある光源氏は、藤壺との子である東宮に累が及ぶことを恐れ、自ら須磨へ隠棲することを決める。
京を去る前、藤壺や紫の上、朧月夜たちと別れを交わし、気心の知れた下仕え数名だけを連れて須磨へと赴くーーー

これまで、思うままに女性と関係してきた光源氏が窮地に追いやられ、反光源氏派からすると胸のすくような展開の「須磨」の帖。
あらすじとしてはそうなのだが、藤壺は嘆き、朧月夜は言葉にできないと悲嘆する。紫の上にいたっては光源氏が亡くなったかのように悲しみ、起き上がることすらできない。
本当に女性たちに愛されていたのだと胸に迫る。
これら登場人物の心情は手紙や歌を通して伝わってくるのだが、この帖ではそれに加え、月が演出効果を最大限に引き出しているように思う。

光源氏が須磨に赴く頃の月は「有明の月」や「入りかたの月」。
有明の月とは明け方に残っている月のことなので、二十日以降の月、つまり欠けていく月のことを指す。
今まで「光」として輝いていた光源氏のこれからを、月によって暗示しているようだ。

別れがつらい花散里は、光源氏の姿が去っていく様子を「月の入り果つるほど」と、山に入ってしまう月と重ねている。
また「月も雲隠れ」る様子に、光源氏は道もわからなくなるほど悲しみにくれる。

須磨へ行った光源氏が昔のことを思い出していると、空に「月のいとはなやかにさし出で」、きれいな十五夜が見える。
光源氏はこの月を見て、京に残してきた女君たちも自分のことを思っているだろうか……とじっと月を見つめる。
「見るほどぞ しばしなぐさむ めぐりあはむ 月の都は遥かなれども」
月を見ている時だけは心が慰められると歌を詠む。

紫式部は、なぜこの帖に月を多く描写したのか……。

光がないと色は見えない。
今までの光源氏は、本当に光り輝いていた。光源氏がいたからこそ、女君たちも色鮮やかに彩られていたのではないか。
その光源氏が須磨へ隠遁。
太陽のように輝いていた世界から、一転して月の光の世界へ。
それは、「物語」として聞いていた者の脳裏も、鮮やかな色彩の世界から、ほの暗く淡い色彩の世界へと変化していったはずだ。

この帖には、「紫苑色」「ゆるし色」「青鈍」など色彩表現は出てきたのだが、根底に流れる色彩のトーンが変化したように感じた。
それは、色を映し出す光の量が変わったから。

光源氏の立場を、太陽から月へと変えた。
またしても紫式部の心憎い演出に脱帽。

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