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源氏物語の色 14「澪標」 ~空の色~

「澪標」のあらすじ
―――須磨・明石の隠退生活から、帰京の宣旨が下った光源氏は都へ戻る。光源氏と藤壺との不義の子である冷泉院は即位し、光源氏は内大臣となり、政権の座を固めていく。
一方、明石で結ばれた姫には女子が誕生したという知らせが入る。乳母を明石に送るなど、さまざまに面倒を見るため、子が生まれたことを最愛の紫の上にも打ち明ける。
また、伊勢から帰京した六条の御息所は病気となり、娘の後見を光源氏に託し亡くなる。光源氏は娘を養女にして冷泉院に入内させ、自分の地位を盤石なものにしていく―――

源氏物語において「桐壺」から「花散里」までは、若いころの光源氏の自由な女性遍歴が書かれ、「須磨」「明石」では、それ見たことかと言わんばかりの隠退ぶりだったのだが、ここへ来てまた光源氏のきらびやかな栄華の時代が幕を開ける。
藤原道長は、自分の娘を次々と天皇や皇太子の妃にすることで政権を握っていったといわれるが、光源氏が六条の御息所の娘を自分の養女にしたという理由もこの時代ならではということがよくわかる。この時代の女子は、父親の地位のために利用されていたようだ。

さて、「澪標」の色彩表現。
「空色の紙の、くもらはしきに書いたまへり。」というところに注目したい。

色名研究で著名な福田邦夫氏の著書「日本の伝統色」にも、この場面が取り上げられ、「空色は世界共通の明るい青をいう」とある。
現在、私たちが思い浮かべるところの明るい青である「空色」の例としているのである。

しかし「澪標」においてこの表現が出てくるのは、六条の御息所が亡くなった後に、娘である斎宮を光源氏が弔問している場面。
あれほど六条の御息所を疎ましく思っていた光源氏だが、病気見舞いをした際には、自分の真意が分かってもらえないのではないかと思い、泣いていたほどだ。それほどに六条の御息所を大切に思う。

六条の御息所の死に落胆している中での斎宮への弔問。
しかも場面は「雪、霙かき乱れ荒るる日」である。
悲しみにくれているような今の空を、あなた(斎宮)はどのようにご覧になりますか……
と問いかけて渡した和歌が、「空色の紙のくもらはしき」に書かれていたのである。

このような場面で、くもらはしき(くすんだ、黒ずんだ)とはいえ、「明るい青」を想像させる意味で「空色」を紫式部は使うだろうか。

ここで思い出したいのが、「葵」の帖での「空の色したる唐の紙」。
この時は、「薄鈍色の空の色をした紙」としたのだが、今回の「澪標」での「空色」も決して明るい青ではなく、「空の色」なのではないかと思う。
薄鈍色や青鈍色ならば、悲しみにくれた光源氏の心情が痛いほど伝わってくる。

紫式部の生きた時代、今から千年前には、まだ「空色」という色名は定着していなかったのではないか。
かなり強引な考えかもしれないが、当たり前と思っていることは当たり前ではないこともある。
「空色」は、この例以外に出てこない。
同時代の「枕草子」にもない。
「空色」がいつから明るい青として定着していったのか。もう少し調べてから、この「澪標」をまた読んでみたいと思う。

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