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源氏物語の色 27「篝火」~涼しいオレンジの光~

「篝火」のあらすじ
―――前帖で宮仕えに出た近江の君の素行は、世間の噂の種に上っていた。光源氏の慎重な計らいによって、深窓となる六条の院に養われた玉鬘とは雲泥の差となっていた。初秋の一夜、西の玉鬘の庭前に篝火を焚き、光源氏は夕霧や柏木らと笛や琴を奏でたーーー

「篝火」の帖は短く、場面設定が初秋の夜ということもあり、具体的な色彩表現は見られない。ならば、タイトルとなる「篝火」について。(篝火はこの時代の屋外照明。照明がなければ色は見えないので!)

初秋と言っても、残暑厳しいのは現代とあまり変わりがなかったみたい。涼しくなってきた夜の時間に、みんなが集まって笛や琴を奏でるという優雅なひとときを過ごすという設定。この日は月も早々に入ってしまう五、六日頃だったので、夜になるととたんに暗くなった。そのため、庭に篝火をともしたのだが、それも消えかかってきたので焚きつけさせるという場面がある。

涼しげな遣水のほとりで篝火を焚きつけると、玉鬘のいる方が「いと涼しくをかしきほどなる光」に照らし出され、玉鬘の様子も「いと冷やかに」気品あふれる感じでかわいらしく見えたという。

現代の私たちの生活では、青白い色の照明の方が冷たく感じ、オレンジ色の光は暖かみのある照明とされる。この感覚が刷り込まれてしまっているせいか、篝火というオレンジ色の炎が見える明りがなぜ「涼しく」「冷やか」に見えるのか私にとっては不思議に感じる。

月のない残暑厳しい夜、光源氏たちは薄暗い、つまり視覚情報のない空間にいたために暑さばかりを感じていたのだろう。そこへ光があたり、まず涼しげな遣水が目に入り、さらに凛とした美しさの玉鬘が見える。暑さを忘れたその一瞬、涼しく風情ある光と感じたという解釈になるのかしら。

現代でも、舞台でスポットライトが当たった瞬間、そこに視線が奪われ集中し、緊張する。そのような背筋が伸びるような感覚を、紫式部は「涼しい光」と表現したのだろう。日頃、オレンジ色の光は暖かみのある光です、と何の迷いもなく言ってしまっているが、状況によってはそうとも言い切れないということを肝に銘じなければと思うのでありました。

~話は逸れて~
屋外照明のうち、固定して使用するものは「篝火」と呼ばれ、移動の時に手に持って使用するものは「松明」。この帖でも「篝火」に松を使っているように、脂の多い松はとても良い割り木だったそうだ。「松を焚く」から「焚き松」。転じて「たいまつ」。そして松を使った明りだから「松明」と漢字で記されるようになったんですね。納得。

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