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源氏物語の色 18「松風」 ~暁~

「松風」のあらすじ
―――光源氏は明石に隠棲していた時に結ばれた、明石の君とその姫君を京へ呼ぼうとする。しかし明石の君は光源氏の用意した邸では身分違いを案じ、大堰川のほとり(現在の嵐山付近)にある母方の別荘へとひそかに移り住む。一方、それを知った光源氏は造営中の嵯峨野の御堂への用事にかこつけて、明石の君とわが娘に会いに出かけるーーー

この「松風」の帖には明確な色彩表現は出てこない。光源氏や明石の君については、美しいという表現でとどまるのみ。また、季節は秋なのだが紅葉などの自然の様子も具体的には書かれてはいない。

ただ、今回の舞台は私たちになじみの深い嵐山や嵯峨野周辺。光源氏の御堂は大覚寺のそばという。私がその周辺を好きだというだけからかもしれないが、光景が思い浮かんでくる。光景を支配するのは光。色を見るために必要な「光」はここではどのように使われているのか……。

明石の君が父親の元を離れ、京に旅立つのは「暁(あかつき)」。現代では「夜明け」と一括りにされてしまうが、街灯などないこの時代、日の出までを空の色の変化で細やかに呼び分けていた。

太陽が昇る前のほの暗い頃が「暁(あかつき)」
空の色がうっすらと明るくなってくると「東雲(しののめ)」
日の出前の明るくなりかけたころが「曙(あけぼの)」

「暁」は、「明時(あかとき)」から変化していった言葉だといわれている。また「曙」は、東の空が「ほのかに明け」てくることから呼ばれるようになったのであろう。どちらも「赤」につながる「明ける」という言葉を用いており、暗い(黒)夜から明るい(赤)朝へと、視覚的変化に伴って言葉が作られていった経緯が分かる。

間に挟まれた「東雲」は、「東雲色」と色名にもなっている。夜明けに、篠で編んだ戸の目、つまり「篠の目」から光が差し込み、うっすらと明るくなってきた時刻を「東雲」、またその時のぼんやりとした薄明るい色のことを「東雲色」と呼ぶようになった。平安文学を読んでいると、自然の事象を視覚的にとらえ、色の名前にしていったことが分かる。

「松風」の帖に話を戻して、もう一つ。京に来た明石の君に会いに、光源氏は人目をはばかって夕暮れ時に出かける。この時を「松風」では「たそかれ時」としている。現代では「黄昏」と表記することが多い「たそかれ」は、源氏物語でもよくつかわれる言葉だが、「誰そ彼」が変じたもの。誰だろう彼は、と人の見分けがつきにくくなった夕暮れ時に使われるようになった。

この時代には「黄昏」ではなかった「たそかれ」が、いつ「黄」の文字を当てはめる「黄昏」になったのかわからない。江戸時代ごろのようなのだが、調べきれなかった。今後の課題。

言葉は時代とともに変化する。でも、人間の本質は変わらないように感じる。近くに移り住んでくれた明石の君に会いたくて、そわそわして、ようやく夕暮れになってきたから人目を忍んで会いに行く光源氏。今でもいそう。

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