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源氏物語の色 7「紅葉賀」 ~うつろいの美~

「紅葉賀」の帖にはいろいろな話がちりばめられている。

まずは朱雀院の行幸とそのリハーサルの様子。青海波を舞った光源氏の美しさは、皆の涙を誘うほどであった。光源氏は、愛する思いのたけを込めて舞ったと藤壺に手紙で語る。
一方、二条の院に迎えた小さな紫の上は、まだかわいらしく幼いものの、光源氏の理想の女性へと成長している。
しかし、正妻である葵の上は気位高く、光源氏との仲はうまくいかない。
そんな中…ついに藤壺が皇子を出産する。光源氏の父親である桐壺帝の子。けれど本当は光源氏の子。この秘密を守り抜こうとする藤壺の決心。
藤壺の緊張感が伝わってくるのだが、なぜか話は好色の老女源典侍との戯れに移る。

話題に事欠かない「紅葉賀」の帖なのだが、今までの話のまとめ的なものと、これから始まる光源氏の運命の分岐点となる帖となっているようだ。

さて、この帖の色彩。
紫の上の小袿は「紅」「紫」「山吹」とある。
また、源典侍は、目のふちが「黒み落ち入り」て皺だらけなのに「赤き紙」の扇を持っている・・・など、スパイスとして色を小道具に使っているが、大きな役割とまでは言えない。

そこで注目したのがタイトルとなっている「紅葉賀」の場面。
神無月の十日過ぎ…現在の十一月上旬、上皇の御所である朱雀院で大規模な催しが行われ、光源氏は舞楽の「青海波」を舞う。
舞台となる庭の木々は紅葉し、色とりどりの木の葉が舞い散る中、青海波の光源氏は現れる。
それは恐ろしいくらいの美しさで、その美しさに圧倒されたように、飾りとして頭に挿していた紅葉まで散ってしまった。その紅葉の代わりに、左大将が庭の菊を手折り、差し替える。

今でも人々の心を惹きつけてやまない京都の紅葉。
その紅葉の中に現れる、これ以上の美しさはないほどの光源氏。青海波の衣装の色の記述は残念ながらないので想像するしかないのだが、現代の雅楽「青海波」での袍の色は明るい黄緑。平安時代ならば萌黄色と呼ばれていた色。紅葉の中、透き通るような萌黄色の光源氏が現れた場面を私は想像してしまう。

また、差し替えられた菊の花は、「菊の色々うつろひ、えならぬをかざして」として素晴らしいものと絶賛されている。
この時代の菊と言えば、白い小菊。
白い小菊に霜が降りると、薄紅色に変わり、それが次第に紫へと変わっていく。
きっと、白から薄紅色、薄紫とうつろう色の小菊を冠に挿した光源氏の姿は、さらに素晴らしいものとなって人々の目に焼き付いたのだろう。

色が少しずつ変化していく風情を、美しさとしてとらえ賞美していたのが王朝時代。
散りゆく紅葉も、黄朽葉、赤朽葉、青朽葉と呼び、色のうつろいを愛でていた。
ゆったりとした時の流れの中に、一瞬一瞬、美を見つけていく。
うつろう美しさ。
現代では忘れてしまっている感覚だが、日本人の美意識というのはこのあたりにあるように思う。

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