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源氏物語の色 20「朝顔」 ~色なきものの身にしみて~

「朝顔」のあらすじ
―――光源氏が若いころから思いを寄せていた女性、朝顔の話。賀茂の斎院であった朝顔は、父式部卿の宮逝去に伴い、旧邸に戻ってきた。光源氏は同じ旧邸に住む叔母である女五の宮のお見舞いにかこつけて朝顔に会いに行くのだが、やんわりとかわされる。一方、朝顔に心奪われている光源氏の様子を見て、紫の上は思い悩む。―――

喪に服している朝顔のもとへ足を運ぶ光源氏。この時代、男女が顔を合わせて「会う」ことはほとんどなかった。会いたくても部屋に入れてもらえなかったのだ。朝顔に会いたくて近くまで行き、光源氏が見た光景は「鈍色の御簾に、黒き御几帳の透影あはれに……」であった。服喪期間なので朝顔の衣裳は鈍色と推測できるが、室内の調度品の色も変えていた時代であったことがこの表現でよくわかる。

「朝顔」の帖では服喪ということもあり、具体的な色彩表現は上記のほかに「青鈍」「鈍びたる」である。前帖に続いての無彩色の美ではあるのだが、紫式部は無彩色に究極の美を求め始めたのではないかと思える場面がある。

「人の心を移すめる花紅葉の盛りよりも、冬の夜の澄める月に雪の光りあひたる空こそ、あやしう、色なきものの身にしみて……」
色鮮やかで人の心が浮き立つような花や紅葉よりも、月の光が照らす雪の白さが身にしみるというのである。この場面は、嫉妬する紫の上に光源氏が話をする場面。「潔白」にも使われる白を雪で想像させる。月明かりにしても雪明りにしても、陰と陽で考えれば陰であろう。そこには自己を見つめる心が生まれるようにも思う。光源氏は、雪の白や月あかりのほの暗い空を見ることで朝顔への思いが届かなかった自分の気持ちを整理したのだろう。

「色なきものの身にしみて」
この言葉は重い。そして、これがこれからのキーワードになるのではないか。

源氏物語「宇治十帖」は無彩色の世界なのだが、紫式部は源氏物語の中盤から無彩色に美を見出すことの布石を打っていたのかもしれない。色彩あふれる世界と、無彩色の世界。紫式部の、この対極の美という視点からも今後考えていきたいと思う。

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