源氏物語の色 28「野分」~時にあひたる色~

「野分」のあらすじ
―――八月、激しい野分(台風)が猛威をふるった。光源氏の長男である夕霧は、台風見舞いのために父の名代として六条院の女君たちのもとを訪れる。その時に夕霧が見た女君たちの様子が見事に描かれているーーー

近年、日本では台風などの大雨の被害に見舞われているけれど、千年前の王朝時代にも台風は発生し、被害をもたらしていた。天気予報のなかった時代、人々の恐怖はただ事ではなかったと思う。「野分」では、空の色が変わり、風で花や植込みが吹き荒れる様子、さらにはそれを見て人々が恐れる様子が非常に臨場感を持って書かれている。

台風の去った朝、夕霧はまず秋好中宮のところへ見舞いに行く。中宮の方ではまさか夕霧が朝早く来るなどとは思っていないようで、女房たちは高欄(欄干)に寄りかかるなど気を許し、童女たちは庭に出て籠の虫に露を与えるなどあちこちさまよっていた。夕霧はそのような様子を、中宮のいる西南の町に近づく角でひっそり垣間見ている。その時の童女たちの衣裳は「紫苑、撫子、濃き薄き衵どもに、女郎花の汗衫などやうの、時にあひたるさま」と表現されている。初秋という時に合う、ふさわしい色の衣裳の童女たちが目に浮かぶ。

「紫苑」は、紫苑の花そのものの色。秋の襲の色目として装束に用いられた、表紫-裏青という少し青みのある薄い紫。「撫子」は今でいうピンクで、襲の色目では表紅梅-裏青。「女郎花」は諸説あるが、表黄-裏青のような女郎花の花と葉を表したもののようだ。

いずれも野分の前には、庭に咲き乱れていた花々であろう。このような色とりどりの衣裳を身にまとった童女たちが、荒れ果てた庭の草むらに見え隠れしているさまは、秋の花のようでさぞかしかわいらしいであろう。その姿は華やかで美しいという記述もある。野分の激しい風で折れてしまった花々の変わりと見立てることもできる。花々が無残になってしまっても、童女たちの「時にあひたる」衣裳のおかげで庭が華やかであることを印象づけている。王朝貴族の人々は、野分のような時であっても、時期に見合った色の衣裳を身に着けていたということを紫式部は伝えたかったのかもしれない。王朝貴族の美意識にはかなわない。

しかし……
現代のように台風の大きさや進路が予想出来ていたわけではない千年前。空が暗くなり、湿った風に入れ替わり、雨が降り出してくる野分の知らせは現代以上に恐ろしいものだったのではないかしら。そしていつ去っていくともわからぬまま吹き荒れる風雨におびえ、闇の中で震えていたはず。台風一過の朝とはいえ、童女でさえ季節に合った色の衣裳を身に着けるのが王朝時代のたしなみとは……。あまりにも出来すぎていて、これは紫式部の理想像だったのではないかとちょっと意地悪に読み込んでしまうのでありました。物語だもの。話は盛っていいのよね。やっぱりあっぱれ。

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