源氏物語の色 21「少女」 ~「緑」の持つ意味~

「少女」のあらすじ
―――光源氏が栄華を極めつつある33歳から35歳の物語で、光源氏の長男 夕霧が中心となる。夕霧は元服を迎え、光源氏の厳しい教育方針のもと大学に入学して学問に励む。一方、幼なじみで相愛の仲であった雲居雁とは引き離されてしまう。またこの帖の終盤では、光源氏の理想の住居である六条院が完成する。―――

源氏物語では、色を効果的に使っているところが非常に多い。もちろん、当時の王朝貴族の装束が季節を先取りした襲の色目を取り入れていたということもあるが、状況に応じて、華やかな場面では華やかな色合い、落ち着いた心理描写を表したいときには無彩色など、色の持っている効果が存分に発揮されている。その多くが、色の「情緒的効果」を用いている。つまりそれにより、その時の心理状態やイメージが、色によって補足説明されているように感じられる。

しかし今回の「少女」に頻繁に出てくる「浅葱」という色は、色の持つ「機能的効果」の側面が見られる。色に記号のような意味を持たせているのである。それをひも解いてみると……

光源氏のような身分であれば、その息子は元服と同時に、高い位である四位についてもおかしくはない。しかし光源氏は夕霧を大学に入学させ、六位に留めさせた。その六位が身に着ける色が、「浅葱」。つまり「浅葱」の色は、決して身分の高くないことを表している。

「浅葱色」は、江戸時代末期の新選組の羽織の色として有名だが、新選組が着用していたとされる色は、緑みがかった藍色。さらに最近では、それらが明るい水色で描かれることが多いので、「浅葱色」は水色と思われがち。しかし、葱の若芽を語源としていることからも、もともとは緑であったことがわかる。千年前の源氏物語では「浅葱」は緑として使用され、薄い緑の代名詞でもあったようだ。

まさか自分が六位になるとは思っていなかった夕霧は、「浅葱」を身に着けていることが嫌でたまらない。自分よりも下の身分だと思っていた者たちも四位や五位。「浅葱色」を身につけなければならないのは屈辱に近かったかもしれない。

さらに夕霧は、雲居の雁という幼なじみと相愛であったにもかかわらず、雲居の雁の父親に引き裂かれることとなる。そこで夕霧が詠んだ歌は「くれないの涙に深き袖の色を あさみどりとや言ひしをるべき」~血の涙に染まった袖の色を、六位風情の浅緑と言ってけなすのか~と悲嘆に暮れている。

本当に「浅葱」が疎ましいと感じる様子がよくわかる。自分の「浅葱」を見るのも嫌、他人から「浅緑」とからかわれるのも嫌、という様子が繰り返し描かれる。読者(聞き手)の脳裏には、夕霧が浅葱色を疎ましく感じる場面が焼き付けられていく。

ところで、貴族の子弟が大学へ行くことはほとんどなかった時代に、なぜ光源氏は息子を大学へ入れたのか。光源氏の思いを要約すると、「身分の高い家に生まれ、世の中の栄華に慣れ、遊び戯れているうちに学問をすることを忘れる。親がいるうちはいいが、将来馬鹿にされることとなる。学問をすることが政治の場に立つ者の強みになる。」とのこと。そこには光源氏が、息子思いの教育熱心な父親、という一面を見ることが出来る。そして「今は不満な夕霧も、学問をすることで物の道理がわかってくれば、恨みもとけるであろう。」と先々のことまで見据えていた。

この光源氏の思惑を知ってか知らずか、人に見られることも嫌な「浅葱」の色を脱ぎたい一心で夕霧は勉学に励んでいく。今でも通じる子育て論のよう。この時代も、甘やかされて育てられる裕福な子息がいて、目に余った紫式部は、光源氏に理想の子育てを代弁させたのかしら……などと勘ぐってしまう。結局、今回も紫式部に驚かされたのでした。

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