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源氏物語の色 25「蛍」~刹那の色~

「蛍」のあらすじ
―――光源氏は娘として引き取った玉鬘を口説きつつ、一方で弟である兵部卿の宮に玉鬘との交際を勧め、二人を夕闇で引き合わせようと蛍を放つ。蛍の光に浮かび上がる玉鬘の美しい姿に兵部卿の宮は心奪われる。玉鬘に言い寄る光源氏と、玉鬘に心を寄せる人々のやり取りがつづられるーーー

源氏物語にはたくさんの名場面があるけれど、夕闇に覆われていた室内に光源氏がたくさんの蛍を放ち、ぱっと光り明るくなる様子は名場面中の名場面。現代のさまざまな光の演出も、この蛍の光に敵う演出はないのではないかとさえ思ってしまう。文字だけなのに、蛍の光が浮かび上がってくる。紫式部が考えたというより、当時の雅な遊びとして噂になっていたのかもしれない。

闇の中の無数の蛍の光を想像するだけでも、日本人の色彩感覚の原点ともいえるようなのだが、「蛍」の帖には特筆すべき色彩表現が他にもある。

五月五日の節に行われた騎射の催しの場面では、見物する玉鬘方の童女と、花散里方の童女の様子が華やかに描かれている。玉鬘方は「菖蒲襲の衵、二藍の羅の汗衫……下仕えは楝の裾濃の裳、撫子の若葉の色したる唐衣」、花散里方は「濃き単襲に、撫子襲の汗衫」とある。

「菖蒲襲」は表青、裏が濃い紅梅色の襲なので、青みがかった紫の菖蒲の花そのものの色といえる。

「二藍」は、藍で染めたのちに紅で染めた色のことで、配合によって青から赤紫までとなるが、端午の節句のこの季節ならば青紫がしっくりくる。

「楝」は、楝(現代ではセンダン)の花の色なので薄紫。裾濃とは裾に行くにしたがって濃くなる様を指すので、薄紫の中でも濃淡をつけたグラデーションといったところ。

「濃き単襲」は、新潮日本古典集成の注釈には「濃い紅の単二枚を重ね」とあるが、五月という季節を考えればあえて紅と解釈する必要もなく、「濃きといえば紫」という解釈で、菖蒲の季節を華やかに彩っている紫とした方がいいように思う。

「撫子襲」は表紅梅、裏青のかさねなので、こちらも紫系。

このように見てみると、女主人に仕える童女たちは、みな紫系の衣裳をまとっている。五月の節句を、自らも菖蒲の花となって演出している気分が感じとれる。

冒頭の光源氏の蛍を用いての演出といい、童女たちの菖蒲の花の演出といい、王朝人たちは季節の演出というものを本当に楽しみながら、大切にしていたのだと思う。それはとても刹那的であるけれど、その季節、時間、一瞬をいつくしみながら過ごしていたことを感じずにはいられない。

果たして現代人は今という時間を大切にしているか。
紫式部から問われているような気がする。

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