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源氏物語の色 5-Ⅱ 「若紫②」 ~紫の意味~

「若紫」とは、春に萌え出た紫草のことをいう。

現代では、あらゆる製品にすでに色がついているので感覚としてわかりにくいのだが、千年前、色は「染めるもの」であった。繊維を染めるものが染料。その最高峰ともいえる染料が紫草であった。
紫草は稀少かつ高価であったため、貴族であっても高い身分の者しか身につけることができなかった。現代でも、紫色に「高貴」などのイメージがあるのはその名残である。

源氏物語は、「紫式部が書いたから紫色が多い」と思われていることが多いのだが、「紫式部」という名前は、周囲からニックネーム的につけられた名前と言われている。
式部丞をしていた藤原為時の娘であることから「藤式部」と呼ばれていたが、「紫のゆかりの物語」である源氏物語を書いたことから、「紫式部」と定着していったのである。
つまり、源氏物語において「紫」は核となる色なのである。

「若紫」の帖では、その紫が絡み合っていく。
この帖は、光源氏が、のちの妻となる少女時代の紫の上と出会う場面から始まるが、並行して光源氏と藤壺のせつない逢瀬も語られている。そこにちりばめられているのが、光源氏の詠んだ紫草にまつわる和歌。

「手に摘みて いつしかも見む紫の 根にかよひける野辺の若草」
~この手に摘んで、紫草(藤壺)の根にゆかりのある野辺の若草(紫の上)をわがものにしたい~

ここに詠まれている「紫」は藤壺を指す。藤壺の姪にあたる紫の上は、根が一緒であることから、せめて藤壺の代わりに手元に置きたいという思いがのぞく。

そして話は進み、光源氏は思惑通りに少女紫の上をひそかに迎え入れ、自邸で手習いなどを教える。
その時の描写に、「紫の紙」に光源氏の詠んだ和歌が書かれている場面がある。

「ねは見ねど あはれとぞ思ふ 武蔵野の 露分けわぶる 草のゆかりを」
~まだ(少女と)共寝はしていないけれど、いとしくてたまらない。武蔵野の露を分けても会えない紫草(藤壺)のゆかりのひとだから~

ここでの「ね」は「根」と「寝」にかけている。
また、現在の東京武蔵野は、古くから紫草の生える土地として知られていた。
古今和歌集の「紫の一本ゆゑに武蔵野の 草はみながらあはれとぞ見る」をふまえ、武蔵野と言えば紫草、という連想となっている。
まだ少女の紫の上と、根のつながる「紫草」の藤壺…。
藤壺に思いをはせる光源氏の苦悩が、紫の紙に溜息となって表れているようでこちらまで苦しくなってくる。

思い返せば、光源氏は生まれて間もなく実母を亡くしている。
その実母は「桐壺」。桐の花は紫色。
実母の面影を追い求めたのが義母の「藤壺」。藤の花も紫色。
藤壺の面影を見つけて引き取ったのが、紫色を名に持つ、藤壺の姪「紫の上」。

光源氏は、自分の記憶にはない、母を追い求めていたのではないかと思ってしまう。

源氏物語において、紫がどれほど大切で、せつなく繊細であるか…想像すればするほど、読む者の脳裏に描かれていく。

紫式部は、現代でいうならば、カラーコーディネーターであり、映像クリエーターでもあったように思う。

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