源氏物語の色 9「葵」 ~鈍色に込められた思い~

「葵」は、能「葵上」としても長く上演されるなど、源氏物語の中でも有名な帖の一つ。
六条御息所が生霊になって……と聞けば、「あの話ね……」と分かる人も多いはず。

前帖「花宴」から二年後、光源氏二十二歳。
光源氏に思いを寄せてはいるものの、妻とは認めてもらえずにいる六条御息所は、伊勢に下ろうかと考え始める。そのような中、光源氏の正妻の葵上が懐妊する。
そして、葵上は賀茂祭前日の禊の見物に行く。美々しく何台も車を連ねて、ほかの車を押しのけるように進み、とうとう六条御息所のいる車さえ押しのけ、場所を確保する。(これが、かの有名な車争い。)
この車争い以降、葵上はもののけに取りつかれたようになり、いよいよ出産のときに六条御息所が生霊となって現れ、葵上は息絶える。
光源氏は、正妻である葵上のことを今までかまってこなかったことを激しく悔やみ、鈍色の衣に身を包んで過ごす。
そして、久しぶりに二条の院に帰り、紫の上を大人の女性として迎える。

以上がそぎ落としてそぎ落としてのあらすじ。
一行一行にストーリーがあり、登場人物一人一人の心に寄り添ってしまいたくなる心理描写に引き込まれていく紫式部の表現力。読み継がれてきた話というのは、こういうところなのだと思う。
しかし、ここでは色彩表現について考えてみる。

車争いの場面では、女房たちの袖口が車から色とりどりに見えているさまや、着物の色合いが素晴らしいことなどが書かれてはいるものの、具体的な色の表現はない。
しかし一転、葵上が亡くなってからは「鈍色(にびいろ)」や「薄墨(うすずみ)」などの色彩表現が九回も出てくる。もちろん、この時代の決まりとして、妻の喪の三か月間は薄墨色を着るため、当然といえば当然なのだが、言葉として多用することで全体を鈍色で包み、その効果を出しているように思う。

たとえば、光源氏の着るものは「にばめる御衣」や「薄墨衣」、「鈍色の御下かさね」など、少しずつ表現を変えて表されている。
また、六条御息所が光源氏に贈った弔問の手紙は、白菊が添えられた「濃き青鈍の紙」。濃い青みのグレーとでもいえばイメージが湧くだろうか。
その返事を光源氏は「紫のにばめる紙」つまり紫がかったグレーの紙に書くのだが、恋文ならばこのような色の選択はない。あくまで形式的な返事として、しかも白菊が紫を帯びて移ろう様子を暗示したのだろう。
私の心はもうあなたにはありません、と。

現代の感覚で読むと誤ってしまうのが「空の色したる唐の紙」。
薄墨色に広がる、時雨の降る空の色のことを指しているのである。
全体がすっぽりと鈍色に包まれている様子が目に浮かぶ。

読み手、というより当時は聞き手だった人々は、紫式部の鈍色マジックにかかったことと思う。
光源氏はここまで悲しみにくれている、という錯覚をも私たちに引き起こさせているのではないか。
正妻に対して、本当はこれだけの深い愛があったと思わせてしまう色のマジックに思えてしまう。
そしてその先の、紫の上を半ば強引に妻にしてしまうこともその余韻を引きずって、きれいな物語としてつながっていくのである。

やはり、紫式部は怖い。

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