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映画の公開日が決まる、ということの裏側に一体どれだけの人の苦労があるのかをちゃんと覚えておきたい

幻の公開日

映画「過去はいつも新しく、
未来はつねに懐かしい 写真家・森山大道」の本来の公開日。
それは、今年の7月3日(金)でした。

心を込めて作り上げたものを一刻も早く、
一人でも多くの方にお届けしたい。
それはもちろん何も映画に限らず、
料理でも建築でも音楽でもテレビ番組でも
みんな同じだろうと思います。
出来立てのほやほやをお出ししたい。
しかもこの夏は
東京都写真美術館で森山大道さんの写真展
「森山大道の東京 ongoing」の開催が
決まっていました。

今年に入ってから
僕たち映画制作者は
東京都写真美術館の写真展のスタッフの方々、
六本木蔦屋書店やNADiff a/p/a/r/tのスタッフの皆さんに
何か連携出来ないかと協力を打診し、
毎週集まってミーティングをしていました。

ボーダレスのミーティング…そして

映画、美術館、書店。
普段はあまり顔を合わせない
ジャンルの人たちです。
そのボーダレスな顔ぶれのボーダレスな議論は
回を重ねるごとに熱気を帯び、
こんなことも出来る、こんなやり方もあると
それぞれが無限の可能性に胸躍らせていきました。

いやな予感が漂い始めたのは、2月です。

コロナという耳慣れない存在に、
日本だけでなく世界がゆっくりと
(あるいは急激に)
飲み込まれていきました。

この先どう進めるのが正しいのか、
何が正解なのかまったく分からないまま、
僕たちはギリギリまで議論を重ねていきました。

僕たちのいやな予感は、
やがて生々しい実感となっていきました。
毎週のミーティングは、マスク必須に、
そしてついには完全リモート会議へと
変化していきました。

そんなある日、杉田プロデューサーから
僕のところに一本の電話がありました。

マスコミ試写会の中止…さらに運命の日

「監督。残念ですが…
マスコミ試写会、中止しましょう。
今、この時期に人を集めてはいけません。」

杉田プロデューサーが
静かにそう言いました。
マスコミ試写会を中止するというのは、
プロデューサーにとって
想像を超える苦悩の果ての決断だったはずです。
しかし、杉田プロデューサーは
こんなこと当然だというトーンで
きっぱりと飄々とそう言うのです。

しかし、その2か月後
さらに重たい運命の日が訪れました。

杉田プロデューサーは、
電話口の向こう側で言葉少なでした。
いくつもの言葉を飲み込んで、
彼はゆっくりと静かに短くこう言ったのです。

「公開。…延期しましょう。
今は無理です。」

すべてが白紙になりました。
決まっていた試写会も
公開するはずだった劇場も
一旦すべてリセットです。

その決断がプロデューサーにとって
どんなに重たいものであるか。
どんなに苦しいものであるか。
安易に言葉にすることさえ憚れます。

プロデューサーたちの東奔西走

単なる延期やスケジュール変更ではありません。
すべてがゼロからやり直しなのです。
杉田プロデューサーを筆頭に、
配給や公開、宣伝を担う全スタッフが
その日から気の遠くなるような作業に突入した…と
あとで聞きました。

スタッフ全員が
日本全国津々浦々や世界中の劇場に
もう一度連絡を取り直し、
頭を下げて事情を説明し、
この映画の持つ可能性について熱心に
再度プレゼンテーションして回ったそうです。

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そしてついに…
新たな公開日と劇場が決まったのです。
新公開日は、
2021年4月30日(金)。
東京の劇場は、
新宿武蔵野館と渋谷ホワイトシネクイントです。

何とありがたいことだろうと
感謝の気持ちでいっぱいです。

映画の公開日が決まる
という一見シンプルなことの裏側に…
一体どれだけの人たちの
血の滲むような努力と苦労がつまっているか、
ということを僕は今回目の当たりにしました。

一本の映画はただ作れば
それで終わりというわけではありません。
むしろそこから多くの試練と挑戦が始まるのです。

もしも今回のコロナ禍がなくて
順調に公開していたならば、
ひょっとすると僕はそんなことも知らないまま
のほほんと夏を過ごしていたかもしれません、

公開日が決まったことはもちろんですが、
もしかするとそれ以上に
そこに着地させる人々の懸命な姿を知れたこと。
それが今の僕にとって
尊くかけがえのないことのように思えるのです。




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