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映画「過去はいつも新しく、未来はつねに懐かしい 写真家・森山大道」監督日記⑩ ~カメラなんて、写ればいいんだから

カメラなんて写りゃいい。

先日の特別先行上映で、
プレス関係の方々にも本作をご覧いただき、
いくつか記事や感想を書いていただきました。
その中で、有難く印象深かったものの一つが
建築マガジンBUNGA NETの
宮沢洋編集長の日曜コラムでした。

宮沢編集長は、
「映画の名セリフ 都市編」として
ポップなイラストと共に
大道さんの本編中の言葉、
「カメラなんて、写りゃいい。」というセリフを
取り扱ってくださっています。

それは、本作の中盤に出てくる場面です。
森山大道さんといえば、フィルムカメラ
(アナログ、フィルム、印画紙、暗室)
というイメージを持たれがちです。
しかし大道さんご本人は、
いとも簡単に(ご本人いわく『掌返し』で)
アナログからデジタルに移行しました。
そのことを語るシーンがあります。
大道さんは、

「こんなこと言ったらなんだけどさ、
カメラなんて写りゃいいんだから。」

と飄々と言ってのけるのです。

宮沢編集長はその言葉を取りだし、

「…私は、最近、一眼レフを滅多に
使わなくなっていることを
後ろめたく思っていたが、
『撮れれば何でもいいんだよ』と
自分に声をかけられたような気がした。」

と書いてくださいました。

実は「カメラなんて写ればいい」
という大道さんの哲学は、
この映画のスタイルにも
ダイレクトに影響しています。

僕なんて、ほら、これだから

サーヤの二階で
僕がこの映画の企画を相談すると、
大道さんは

「岩間さん、
あなたが一人で撮ればいいんですよ。
写ればいいんですから。
写りさえすれば、ま、何とかなりますから」

と、いたずらっ子のように微笑んでいました。

でも映画の撮影に、
僕が使えるカメラなんてあるんだろうか。
映画撮影と言えば、
恐ろしくでっかくて、いかつくて、重たくて、
操作の複雑なカメラしか思い浮かびません。
何百万円もするようなやつです。

僕一人が大道さんを追いかけるとしても
そんなカメラを使いこなせるわけもありません。

大道さんにそう伝えると…

「カメラなんて何だっていいんですよ。
写ればいいんですから。
写りゃしめたものですよ。」

写ればいい??写りゃしめたもの??

「カメラなんて、写りゃいいんです。
写れば、あとは何とかなりますから」

大道さんは、そう言ってポケットから
自分の小さな小さな
コンパクトデジタルカメラを取りだしました。

そして右手でそれをプラプラさせて、
ニヤッと笑ってこう言うのです。

「僕なんて、ほら、これだからさ」

武器はこの小さなコンパクトカメラ一台

それは数年前まで学生が使っていたような
やや型落ちしたニコンのデジカメでした。
決して高級機ではない
拍子抜けするほどあっけない普通のカメラ。
世界のDaido Moriyamaがこのカメラで
世界中の写真ファンを感動させているなんて、
一体誰が想像つくでしょうか。

「僕なんかさ、これが一番だもん。
これで十分だもん。
カメラなんてさ、
写れば何でも良くてさ、
あとはその人の手になじめば
もうそれでいいんですよ。」

そして大道さんはさらりと言うのでした。

「映画の撮影も、同じですよ、きっと。
岩間さんの手になじんで、
写りさえすれば、
カメラなんて何だっていいんですよ」

とどめのひと言

大道さん、それはあれです、
超凄腕の天才剣豪が
拾った木っ端で刺客全員をやっつけるような
達人の世界です、
凡人にはとてもとても…
と言いかけた僕に、
大道さんはとどめのひと言を放ちました。

「要は、何を写すかってことですね」

要は、何を写すか。
それは大道さんの
ドキッとするような挑発でした。

(岩間さん、
カメラにこだわっていても
いい映画は撮れないよ。
要は、何を撮るか。
それに尽きるよ)

きっと大道さんは
僕にそう言いたかったのです。
灰皿にタバコの火を押し付けて立ち上がり、
ゆっくりとジャンパーを着ながら
大道さんは言いました。

「さてと。いつから始めますかね」

僕は翌日、
慌ててカメラ量販店に出かけ
この映画のためのカメラを買ってきたのでした。
「カメラなんて、写りゃいい」
その言葉を胸に刻み付けて。

2018年1月。
映画はこうしてクランクインしました。

写真:本編場面より



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