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映画「過去はいつも新しく、未来はつねに懐かしい 写真家・森山大道」監督日記㉗ ~森山大道と中平卓馬、特別な時間

ここが森山大道と中平卓馬の聖地だ

灰色の厚い雲に覆われた
寒い寒い冬の一日でした。
「大道さん、
思い切って長者ケ崎に
行ってみませんか?」

中平卓馬さんと過ごした聖地のような場所に、
僕らは向かっていました。
行きの車の中で
僕は大道さんの言葉を反芻していました。

「岩間さんが撮る葉山の海の向こう側にさ、
中平を”感じさせる”ことができたら、
映画の勝ちだよね」

東京から車で二時間。
長者ケ崎の浜辺に立ち、
僕は感無量な思いでした。
ここか。
この場所で25歳の森山大道と中平卓馬が、
出逢い、語り合い、夢を見たのだ。
ここからすべてが始まったのだ。
欲を言えばもう少し天気が良かったら
いい画になったんだけれど、まぁ仕方がない。
灰色の空を少し恨めしい思いで睨んで
気を取り直し、撮影準備に入ります。

大道さんは、
岸から100メートルほど離れた小岩を指さして
ぽつりぽつりとカメラの前で語り始めました。

「僕と中平、二人で写真雑誌・写真集を持って
あそこまで泳いでいったの。
で、甲羅干ししながら、
ああでもないこうでもないと
片っ端から当時の写真家の悪口言ってたんだよ。
僕らもまだ若いし、これから写真やろうって時期だからね。
憤懣もあるし、やるせなさもあるしで
罵倒しまくるわけ」

55年以上前の出来事を
まるで昨日のことのように語る大道さんを前にして
僕は胸がいっぱいでした。
「この映画は中平さんのことを避けては通れない。
でもいちいち解説・説明はしたくない」
そう生意気に言い放った僕に対して、
大道さんは、
自分の心の中で生き続ける
”中平卓馬という魂の聖地”について今、
一生懸命自分の言葉を紡ごうとしてくれている。

「やっぱり僕には当時、
中平しか見えなかったね。
まぁやっぱり…
なんていうかな…」

そのあとの言葉に思わず虚を突かれました。

「…目が離せなかったね」

友達に「目が離せなかった」なんていう
こんな言葉を普通使うだろうか。
大道さんと中平さんは
”男の友情”などというレベルをとうに超えた
もっと深いところで繋がっていたのではないか。
そして一卵性双生児とからかわれるほど
いつもツルんでいた二人の名もなき写真青年は、
互いを眩しいほど認め合い、
よっしゃいっちょやったるか!と
鼻息を荒くしていたに違いない。

「中平はゴダール派で、僕はフェリーニが好きでさ」

懐かしそうに嬉しそうに
優しい眼差しで中平卓馬さんのことを語る大道さんは
いつもとはちょっと異なる雰囲気でした。
でも…急にふっと寂しそうな顔をして
こう呟いたのです。

「まぁ…本当に…遠い遠い昔だけどね。
…もう中平もいなくなっちゃったし…」

中平さんが逝去して三年の月日が経っていました。
二人はもう語り合うことも夢見ることも
罵倒することも出来ないのです。

オレンジ色の陽光

と、その時です。
それまで空を覆いつくしていた灰色の厚い雲に、
わずかに割れ目が出来、
そこからオレンジ色の陽光が
幾筋も下りてきたのです。

寂しそうだった大道さんの横顔に
オレンジ色の光が当たりました。
大道さんは
「お!なんか陽が出来てていいよな」と
パッと嬉しそうな表情になりました。
そして少年のようにはしゃぎながら
コンパクトカメラで
何枚も何枚も水平線とあの小岩を撮り始めました。

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僕は勝手に思いました。
この陽光は、中平さんだな。
中平さんが「よお、ダイドーさん」と言っているのだなと。
そして段々理解し始めました。
大道さんは、本当は分かっていたのだ。

「葉山の海の向こう側にさ、
中平を”感じさせる”ことができたら、
映画の勝ちだよね」
というのは確かに僕への
静かなプロヴォーク(挑発)でした。
でも、本当は大道さん自身は
最初から分かっていたのです。
「あの海に行ったら、
あの小岩を眺めたら、
自分もきっと中平を感じるに違いない」ということを。
いや、「感じざるを得ないんだ」ということを。
この長者ケ崎への旅は
そんなきわめて個人的で
あまりにもナイーブで
かけがえのない大切な時間だったのです。
僕はそんな特別な瞬間に
立ち会うことを許されていたのでした。

灰色の雲はいつしか綺麗に消え去り、
辺り一面はオレンジ色一色に染め上がりました。
長者ケ崎の温かい光に包まれて
大道さんは満足そうに何本も煙草を吸いました。

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撮影が終わって
浜辺で大道さんに冗談半分で訊ねました。
「大道さん、例えば今ここで
25歳の時の自分に出会ったら、何て言いたいですか?」

すると大道さん、おかしそうに笑いながら
こう言ったのです。

「そうだね、
つべこべ言ってないで、はよ撮りに行け。
そう言いたいね。
もうさ、こんなとこでごちゃごちゃ言ってないで
はよ街に出て撮りなさいよ、ってさ(笑)」

中平卓馬の命日…青山へ

9月1日。
その日は、中平卓馬さんの命日でした。
事務所を訪ねると
大道さんは、ケルアックの小説「路上(ON THE ROAD)」の
Tシャツを着ていました。
「路上」は、中平さんが大道さんに薦めた本です。

大道さんは、そもそもTシャツ好きで
撮影の度に違うTシャツを着ています。
でもこの日の「ON THE ROAD」は
いつもとちょっと様子が違うような気がしました。

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「今日は青山にスナップに行こう」と大道さん。
なぜ青山?と思いましたが、
ちょっと考えてすぐわかりました。
森山大道さんは中平卓馬さんに誘われて
写真同人誌「プロヴォーク」に参加します。
そのオフィスが当時青山にあったのです。
葉山の長者ケ崎が青春の第一章の舞台なら、
ここ青山は、波乱万丈、山場のシーンの舞台でした。

今にも雨が降り出しそうな天気の中、
「プロヴォーク」の事務所があった場所で
大道さんはまたしてもポツリポツリと
当時の話をしました。
参加の経緯や
当時の編集会議(と称した飲み会)のこと、
他のメンバーのことなど。
そして嬉しそうにこう言うのです。

「ま、でも結局、
中平しか見ちゃいなかったんだけどさ、僕は」

そして、その瞬間がやってきた

帰り道、青山通りに大道さんはカメラを向けました。
葉山の長者ケ崎で狼煙を上げた二人の狼は
ここ青山で
写真界にどでかい風穴を開けました。
そして時に傷つきボロボロになりながら、
写真の最先端を全力で走り抜けていったのです。
青山通りには、そんな二人の記憶や思い出が
横溢しているに違いありません。

雨が降ってきました。

「ああ、大道さん、降ってきちゃいましたね」
僕はそう言いかけて…
思わず息を呑みました。

見ると…
大道さんはその雨音にじっと耳を傾け、
青山通りに向けたカメラを
シャッターを切ることなく
ただ静かに構えているではありませんか。
微動だにしません。
黙って、ただただ雨の青山通りにレンズを向けています。
長い長い時間でした。

僕は瞬時に理解しました。
「今、二人は会話を交わしているのだ」と。

森山大道と中平卓馬。
二人は実際に会うことはもう出来ないけれど、
こうやって魂レベルで会うことはできる。
これは二人の写真家の魂の交歓だ。

「ダイドーさん、俺ここにいるよ」
「分かってるよ、こちとら相変わらず写真撮ってるよ」
そんな言葉にならない会話が聞こえてきそうでした。

大道さんが微動だにせずカメラを構えている姿を、
僕もまた身じろぎもせず撮影しました。
僕は「これだ、ここだ、
この時に、すべてがあるのだ」と
心を揺さぶられていました。
フロントガラスの雨越しに
サッと一枚撮ってカメラを下ろせばいいのに
決してそうはせずに
いつまでもカメラを構え続ける大道さん。
それは写真を撮る、というよりは
カメラを構える行為を通して
何か別のモノを見ているようでした。
その手元だけを僕は撮影し続けました。

顔はいらない。
引きの映像もいらない。
僕のカメラもまた動かしてはいけない。
この手元だけでいい。
雨。沈黙。大道さんの手。カメラ。青山通り。
それだけでいい。

周りの音がすーーーーーっと消えてなくなる
静謐な世界が、目の前に広がっていきました。

ああ、僕はこの時間を撮ることが出来て幸せだな。
なぜこの映画を作りたいと思ったのか。
その答えは、今この時間にすべて凝縮されているな。
そうだ。僕はこれを撮りたかったのだ。

そう思ったら
僕は胸に熱いものが込み上げてきました。

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(写真:本編より)

※次回、この監督noteも最終回を迎えます。
完成した映画を観て、
果たして大道さんは最初に何と言ったのか。
次回最終回でお伝えします。
乞うご期待!



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