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映画「過去はいつも新しく、未来はつねに懐かしい 写真家・森山大道」監督日記㉕ ~大道さんの魂の聖域”中平卓馬”

"中平卓馬"という聖域

大道さんとの会話に
その人の名を軽々に持ち出すのはためらわれました。
なぜならそれは大道さんの
魂に関わることかもしれないと思ったからです。
2015年に亡くなったその人の名を、
中平卓馬さんといいます。

中平卓馬さん。
大道さんと同い年、1938年生まれ。
25歳で知り合った無名の二人は、
互いに強く魅かれ合うものがあり、
青春を共に過ごしました。
そしてその後共に写真家デビューを果たしました。
激動の時代を熱く駆け抜けた二人は、
いわゆる「アレ・ブレ・ボケ」のフロンティアとして
既成の写真を徹底的に批判、
それまでの常識を打ち破る作品を次々と発表し、
圧倒的に若者の支持を集めました。

中平卓馬さんは日本語は勿論、
スペイン語、フランス語、英語を流ちょうに話し、
触れれば血が噴き出すような
鋭いロジックと言説で
他者を容赦なく批評し、論破し、
また自分に対しても厳しい態度で
写真制作に臨む人だったといいます。

逗子・長者ケ崎の”一卵性双生児”

大道さんと中平卓馬さんは
つねにつるみ、共に時間を過ごし、
ああでもない、こうでもないと
写真論を語り合いました。
二人の青春のベースは
逗子・長者ケ崎。
二人でコーヒーを飲み、酒を飲み、
既存の写真家の悪口を言い合い、
俺たちだって…と
見果てぬ夢を語り合ったそうです。

「一卵性双生児」とまでからかわれるほど
二人はつねに一緒にいたそうです。
大道さんがのちに言うには
「中平しか見えていなかった」
「中平から目が離せなかった」そうです。

その後、中平さんは昏倒し、
突然、過去の記憶と言語を失ってしまいました。
でもそれ以降も、
大道さんは中平さんから決して
離れようとはしなかったといいます。
記憶を失った中平さんもまた、
大道さんから離れようとはしなかったそうです。
たとえ中平さんが以前のことを忘れてしまっていても、
かつて過ごした逗子・長者ケ崎での
熱いやり取りを覚えていなくても、
大道さんと中平さんは
魂の深いところで
「一卵性双生児」のままだったのです。

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やっぱり避けては通れない

その大道さんに
「大道さんにとって
中平さんってどういう存在なんですか」
とは…聞けませんでした。
それは大道さんの魂の聖域に
土足で踏み込んでいくような気がしたのです。

僕は中平さんの名前を口にすることさえ
躊躇し、二の足を踏んでいました。
その僕が「これではだめだ。
今現在の森山大道を撮るのに
ここは避けては通れない」と思うようになったのは
編集者と造本家の編集作業がきっかけでした。

編集者・神林さんと造本家・町口覚さん。
二人は「にっぽん劇場写真帖」を復活させるにあたり、
大道さんに取り調べ刑事さながらに質問し、
各写真の撮影場所や同行者、
その背景を解き明かしていきます。
その過程において、
本来ならなかなか聞けない中平さんのことも
彼らは勇気をもって聞いていたのです。
(その時の彼らの逡巡・葛藤は容易に想像できます)
その光景を目の当たりにし、
「僕が撮る映画も勇気を持って
ちゃんと踏み込まなければダメだ」と思いました。
僕はある日思い切って大道さんに切り出しました。

「大道さん、この映画では
中平卓馬さんのことは
避けて通れない気がしているんです」

大道さん、ピタッと動きが止まります。
僕は心臓が飛び出しそうになりながら続けます。

「なので、僕もその辺、腹くくろうと思います」

大道さんは、イエスともノーともつかぬ表情で
ゆっくり煙草をくわえました。
そして何度か煙を吐き出すとこう言ったのです。

「僕の中でさ、
今でもビビッドに生き続けている写真家はさ」

は、は、はい。

「中平卓馬だけなんだよ」

はい。

「僕にとって、たった一人の親友でさ、
唯一無二のライバルなんだよ」

…。

「じゃ行こうか」

そう言って大道さんはスナップに出かけました。
僕はあわててその後姿を追いかけました。

大道さんはその日の午後のスナップで
唐突に口にし始めたのです。

「ここさ、よく中平と歩いたんだよ」
「ここにさ、中平が遊びに来たんだよ」
「中平がさ昔よくこう言ってたんだよ」

大道さんは
自分の魂の聖域に僕が立ち入ることを
そっと黙って許してくれたのです。

「中平はさ…」

中平卓馬。
その名前を大道さんは
以降この映画の撮影中、
100回は口にすることになりました。

それは単なる甘い思い出話を
語っているのではありませんでした。
かつての青春ノスタルジーを回顧し、
そこに浸っているのでもありませんでした。
そうではなく、
今現在の自分自身の立ち位置を
はっきりさせるために、
大道さんにとってもまた
中平卓馬さんは避けては通れない存在だったのです。

大道さんにとって
「中平卓馬は生きている」。

そこまで撮れるのか?
撮る気があるのか?
ならば、さぁ行くぞ。
中平とのオン・ザ・ロードへ。

それは大道さんの僕に対する
静かで熱いプロヴォーク(挑発)でした。

僕は覚悟を決めました。
そして大道さんにこう提案したのです。

「大道さん、
思い切って逗子の長者ケ崎に
行ってみませんか?」

(写真:本編より)

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