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映画「過去はいつも新しく、未来はつねに懐かしい 写真家・森山大道」監督日記⑲ ~「にっぽん劇場写真帖」復活計画

構成なんか作らないぞ!はいいけれど…

あえて構成を作らずに、
大道さんをひたすら記録し続ける。
事前に構成台本を作ってしまっては
それ以上の映画にはならない。
作り手の想像を超えるドキュメンタリーにはならない。

だから黙々と淡々と記録していこう。
記録の先に見えてくるものに
じっと目を凝らし、
耳を澄ましてみよう。
これから起こる物語の微かな予兆を
決して見逃さないよう
感覚を研ぎ澄ましておこう。

そう決めて大道さんを追いかける日々でしたが、
当然焦りとプレッシャーもあります。
「本当にこの先、構成が見えてくるのか?」
自分は、ただ大道さんのスナップワークを
徒に撮り溜めているだけなのではないか。
これは一体どんなストーリーの映画になるのか?

でも撮影を始めて2か月。
予兆が突如、僕の前に現れました。
旧知の編集者・神林豊さんが
ある晩、僕にこうボソッと言ったのです。

「『にっぽん劇場写真帖』をね、
もう一度出そうかと思ってるんだ」

ん?なんだ?なんだなんだ?

伝説のデビュー写真集「にっぽん劇場写真帖」

「にっぽん劇場写真帖」とは
森山大道さんが1968年に出した伝説のデビュー写真集。
画面の粒子は荒れ、
被写体はぶれ、
ピントがボケたその作風は
当時「アレ・ブレ・ボケ」などと称されました。
大衆演劇の役者たちから
テレビ画面、東京の路地裏、看板、ポスター、
ストリップ劇場、団地、アングラ劇団、
ストリートパフォーマンス、チアガールなど
無秩序に並べられた
真っ黒なモノクロ写真群は
写真界に大ショックを与えました。

こんなものは写真じゃない!と
旧来の伝統的な写真界が激怒する一方で、
多くの若者たちからは熱烈に支持されました。
「いや、これこそが俺たちの求める新しい写真だ!」

その刊行から50年。
今やその現物はコレクターたちの間で高騰し、
稀少本を扱う古書店では何十万円、何百万円という
信じられない価格で取引されています。
つまり一般のユーザーにとっては
1968年の処女作は「高嶺の花」。
超有名なのに、現物を手に取ることはきわめて困難な代物。
いわば幻のような写真集なのです。

それを今一度、現代に復活させようというのです。
物語の心臓がドクンと脈打ちました。

森山大道の50年前の伝説的デビュー写真集が
新たな装いで21世紀の現代に甦る。
ドキュメンタリーを作ってきた僕のセンサーが
ピピピピピピと鳴り出すのが分かりました。

僕は身を乗り出して
神林さんに尋ねました。

「どうやって?そしてどのように?
それはつまり”復刻版”を出すということですか?」

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途方もないプロジェクト

すると彼は意外なことを言うのです。

「いや、単なる”復刻版”じゃない。
【にっぽん劇場写真帖】の”決定版”だよ」

そう言って神林さんは不敵な笑みを浮かべるです。

”復刻版”じゃない?
”決定版”?
どういうことだろう。

彼は続けて言うのでした。
「あの写真集には全部で
149点の作品が収録されている。
その一点一点に、すべて完全なデータをつけてみたいんだ。
つまり、すべての作品一点一点が、
【いつ】【どこで】【どのように】撮られたのか。
それを森山大道さん本人から聞き出して、
完全に解き明かし、
一枚一枚にきちんとしたデータとして付与したいんだ。」

え?
それは気の遠くなるような作業じゃないですか。
だって149点もあるんですよ?
なぜそんな途方もないことを?

「なぜって。それが森山大道さんのアーカイブを
後世にちゃんと残すために必要なことだからだよ」

僕は、神林さんとは25年以上の付き合いです。
普段は、真面目なのかふざけているのか
本気なのか冗談なのか
よく分からないところがあるのですが、
ここ一番という時にはさっと目つきが変わります。
大げさな話ではなく
目玉に火が灯るのです。

一点一点、すべての背景を解き明かす?
149点全部?
大体、50年前の写真一点一点の撮影背景なんか
大道さん本人が本当に覚えているだろうか?
それを紐解いていくなんて
本当に可能なんだろうか?

恐る恐る彼の眼をのぞき込むと
あゝ…
やっぱり火が灯っていました。

この人、本気だ。

そしてその瞬間、僕は決心したのです。
それ、撮らなきゃ。
そして確信したのです。
これだ、これだったんだ。
ここに物語が待っていたんだ、と。

(写真:【にっぽん劇場写真帖】より
ⒸDaido Moriyama Photo Foundation)

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