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映画「過去はいつも新しく、未来はつねに懐かしい 写真家・森山大道」監督日記⑦ ~25年経ってもう一度お願いする

「ぴあ」で見つけた小さな手がかり

会ったこともない森山大道さんを探し出し、
ドキュメンタリーを作らせてほしい
と口説きに行く。
25年前、アート界にも出版界にも写真界にも
一切コネも知り合いもない20代の若者にとって、
それはあまりにハードルの高い作業でした。
唯一の手がかりは一冊の総合情報誌「ぴあ」。
その展覧会情報を目を皿のようにして読み、
そしてついに見つけ出したのです。
「森山大道 個展『イミテーション』開催」
という小さな記事を。
場所は当時大塚にあった
タカ・イシイギャラリー。

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代表の石井孝之さんに事情を話して、
とにかく一度森山大道さんにお目にかかりたいと
必死で頼み込んだのでした。

石井さんの好意で取り次いで頂き、
『兎にも角にも一度お目にかかりましょう。
話はそれからということで』
と森山さんが仰ってます、
ということになりました。

この人が…森山大道だ

緊張と興奮で身をこわばらせながら、
ギャラリーの奥の控室の扉を開けると
そこに本物の森山大道さんが
タバコを吸いながら座っていました。
そして、ふっと立ちあがってこう言ったのです。

「あ。ども。はじめまして、森山です」

小さな声で少し恥ずかしそうに
ポツリとそうつぶやいた森山大道さん。

あ、あ、あなたのドキュメンタリーを
作らせてほしいんです!と
緊張状態の僕は殆ど一方的に喋りまくりました。
大道さんは、
長い長い僕の勝手な言い分を
肯定するでもなく否定するでもなく
黙って静かに聞き終ると、
静かにこう言いました。

「ご用の向きは分かりました。
でも、僕はテレビ向きじゃないですよ。
一人でただウロウロと
街を歩いて撮ってるだけですからね。」

え…じゃ、ダメですか…。
とガックリと肩の力を落とした僕に
さらに続けて大道さんは言うのです。

「面白くも何ともないと思いますから」

大道さんは断るつもりだったそうです。
ただ電話や人づてだけで拒絶するのも何だから、
と武士の情けで若造に会ってくれたのでした。

しかし。
結果的に大道さんはこの話を受けてくださり、
僕は「路上の犬は何を見たか?
写真家 森山大道1996」という
45分間のテレビ番組を作らせて頂いたのです。
(その顛末はまたいずれお伝えします)

(下記写真:『路上の犬は何を見たか?写真家 森山大道1996』より)

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25年前のデジャヴ…そして長い手紙を

2016年、
20年経ってその番組の上映会が開催されました。
そして杉田プロデューサーが言うのです。

「大道さんの映画を作りましょう。
ただし、あなたが森山大道さんを
自分で口説いてきたら…です」

ああ、これは25年前のデジャヴだ。
やっぱり
自分で口説きに行かなくちゃいけないんだ。
でも今さら大道さんが
映画の話なんて受けてくださるだろうか。
いやいや、きっと今度こそ断られるよな。
ああ、なんて切り出したらいいんだろう…。

僕は、
森山大道さんに長い長い手紙を書きました。
20年ぶりの上映会でお客さんから
今の大道さんをなぜ撮らないのかと問われ、
ハッと胸を衝かれたこと。
そんな折、映画を作らないかという
思いがけない話を頂いたことなど
便箋用紙にして20枚ほど。

祈るような思いで投函してから一週間後、
大道さんから返事が届きました。

そこには万年筆の端正な文字で
こう書かれていたのです。

「ご用の向きは分かりました。
兎にも角にも、一度お目にかかりましょう。
話はそれからということで」

同じだ。
25年前に聞いたフレーズとまったく同じだ。

僕は、大道さん指定の場所
新宿ゴールデン街の「サーヤ」というバーに
どう言おう、どうお願いしよう、と
冷や汗タラタラ
思案しながら出かけたのでした。

「サーヤ」の二階に上がると、
昔とまったく同じように大道さんが
静かにタバコを吸っていました。

そしてこのあと大道さんは
驚くべきことを言い出したのです。

(タイトル写真・文中資料:
タカ・イシイギャラリー発行 当時の図録
および TIG News Letter ♯1より)

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