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映画「過去はいつも新しく、未来はつねに懐かしい 写真家・森山大道」監督日記⑱ ~テーマやコンセプトを捨てること

大都会を徘徊する男二人

森山大道さんと僕。
二人だけの映画撮影、
マンツーマンの収録が続きました。淡々と、黙々と。

撮影がスタートした当初、スナップ中の大道さんは

「あの…これ、なんか喋った方がいいですか?」

と僕と映画のことを気遣って言ってくれました。
「いえ、何も喋らなくても大丈夫です」と僕。
すると大道さんはホッとしたように笑うのです。


「そうだよね、スナップ中、普通は喋んないもんね。
撮影しながらベラベラ喋ってたらおかしいもんね(笑)」

「ですよね(笑)、いつもの大道さんで大丈夫です」

すると大道さん、それ以降まったくこちらのことなど気にせず
ガンガン、マイペースで
スナップワークにいそしむのでした。

小さなクールピクス一台で
路地裏に入り込んでスナップを重ねる大道さん。
その後ろを小さなハンディカメラで追いかける僕。
ちょこちょこ、ちょこちょこ
大都会の裏側を徘徊する男二人は、
とても映画を作っているようには見えません。

そんな風にして撮影は進んでいきました。

中野、阿佐ヶ谷、高円寺、
池袋、十条、新宿、神楽坂
渋谷、青山、六本木、祐天寺
三軒茶屋、浅草、表参道…

数えきれない街を森山大道さんはスナップ。
そこに僕は同行させて頂き、撮影を続けます。

路上スナップにテーマやコンセプトはいらない

森山大道さんは、スナップに出るとき
昔からテーマを一切決めません。
あらためてそのことを訪ねるとこう答えました。

「うん、僕は路上スナップをする時は
一切テーマやコンセプトを決めないんだよ。
テーマやコンセプトに縛られると
写真の可能性が狭まるし、大切なことを見逃すからね。」

時々、こんな風にも話します。

「テーマはさ、その人の頭の中で
うんうん言ってひねり出すものじゃないんだよ。
テーマってのは、一歩表に出れば街に無数に転がっているわけでさ。
行き交う人々は、みんなそれぞれのテーマを持っている。
いや、人だけじゃないよね。
モノも風景も街そのものも、
みんなそれぞれ無数のテーマを有しているから。
事前に頭の中で考えたって意味ないんだよ。
街に転がっている無数のテーマと
その瞬間その瞬間に出会った方が面白いからさ。」

それは自分のセンサーの感度を信じる
圧倒的な自信からくるものでした。
大道さんは「擦過する」という言葉をよく使います。
誰かと何かと擦過する、つまりすれ違った瞬間に
あっと感じたものをスナップする。
その擦過の瞬間が勝負のすべてであって、
事前に準備したテーマやコンセプトなど
少なくとも自分のスナップワークには
無用の長物だというわけです。

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逆に僕は長年、
テレビ番組を手掛けてきたこともあって、
テーマ・コンセプトは
制作する準備段階で絶対に必要不可欠でした。
テーマ・コンセプトに基いた全体構成があることで、
大人数のスタッフに
「だからこういう映像が必要だ」
「こういう音が必要だ」
「この照明やセットが必要だ」ということを
説明言語として伝えることが出来るからです。
その柱により最短最速の時間と手間で
合理的に論理的に、また効率的・経済的に
モノを創ることが出来ます。
つまりテーマ・コンセプトを立て、
それに基づく全体構成を作るということは
比喩ではなくまさに
「見取り図・地図を描く」ことに他ならないのです。
その見取り図・地図こそが
作り手が遭難しないための命綱になるわけです。

その命綱を僕は今回、
”手離す”ところから始めてみようと思いました。
スタッフは僕一人とはいえ
テーマ・コンセプトに基づく命綱は
作り手として本来必須です。
しかし撮る相手は誰あろうあの森山大道だ。
様々な事物と擦過し、
その瞬間その瞬間を狩人のごとく採取する
スナップワークの帝王・森山大道だ。

その森山大道に同行させてもらうのに
僕が中途半端なテーマやコンセプトを掲げ、
作り手のための道案内として
全体構成を考えてどうする。
そんな見取り図や地図など、
天下の森山大道のスナップを前にしたら
頭でっかちの戯言にしかならない。

だから。僕は決めたのです。

あえて何も決め込まない。
中途半端なテーマ・コンセプトを捨てて
まっさらな状態で撮影に挑む。
何かを決め込んで撮影に臨むと、
肝心なことを見逃してしまうかもしれない。
僕自身もまた全身を鋭敏なセンサーにして、
森山大道と都市の擦過の様子を
一期一会で感じ、反応し、しっかりと記録しなくては。
その淡々とした積み重ねの先に見えてきたものこそが
きっとこの映画の「テーマ」であり「コンセプト」に
なってくるはずだ。

それはとても勇気のいることでした。
なぜならコンセプチュアルな
見取り図を事前に持たないということは、
僕もまた
僕自身が、街や大道さんと「擦過」する
己の感性と可能性を強く信じなくてはならないからです。

大きな賭け…不安…そして心臓が動き出す!

映画制作の責任者・杉田プロデューサーにとっても
それは大きな”賭け”でした。

「こういう映画になるはずだ」と決めつけない。
僕は杉田プロデューサーに恐る恐る
「…そういうわけで今回、
構成は一切決めずに撮影を積み重ねます。
何かが見えてきたらそこで初めて言葉にします」
とめちゃくちゃなことを言いました。
それは
「俺は今から太平洋をヨットで横断するけど
羅針盤も航海図も持たずに出港する。
ちなみにいつ目的地に着くかも分からないし、
目的地も今一つはっきりしないのだけれど、
この大冒険に投資してくれ」というようなものです。

彼はしばらく思案顔で腕組みをし、
数十秒黙った後にこう言ったのです。

「分かりました。では待ちましょう。
楽しみですね。見えてきたら教えてください」

それは、プロデューサーとして
大きな決断であると同時に
僕への激烈なプレッシャーでもありました。

僕は森山大道さんにも同じことを言い、
「構成も狙いも決めずにただスナップに同行させてほしい」と
お願いしたのでした。
大道さんはニヤッと笑って

「あ、そう。うん。分かりました。
じゃ僕はいつも通りスナップしてますから、
勝手についてきてください」

と言い放ち、本当に毎回風のように街に消えていくのでした。

僕は、内心、激しいプレッシャーと
「本当にこの先、構成が見えてくるのか?」という
大きな不安と戦いながら、
日々大道さんのスナップを記録していきました。

撮影を始めて2か月。

この映画の「背骨」が突然姿を現しました。

それは旧知の編集者・神林豊さんが
僕にこうボソッと言ったところから始まりました。

「『にっぽん劇場写真帖』をね、
もう一度出そうかと思ってるんだ」

映画の心臓が、ドクンと脈打ち始めるのを
僕は確かに感じました。

(写真:映画本編より)

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