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映画「過去はいつも新しく、未来はつねに懐かしい 写真家・森山大道」監督日記㉒ ~グラグラの映像でそれは始まった!

「にっぽん劇場写真帖」いつ、どこで、どのように

その瞬間は、不意に…唐突に訪れました。
いえ、正確に言えばこうです。
編集者・神林豊さんは
まるで世間話の延長のように装いながら、
実は明確にタイミングを狙いすまして
こんな風に切り出したのです。

「…森山さん、例の『にっぽん劇場写真帖』なんですけどね。
【いつ】【どこで】【どのように】撮られたのかを…
一点一点、全部聞いていきたいわけですよ」

それまで和やかだった空気は
一瞬にして張りつめました。
それは僕がカメラを三脚に据えようとしている
まさにその瞬間の出来事でした。

おっとっと、神林さん
もうちょっとだけ前振りしてくれるか
もうちょっとだけ待ってくれればいいのに…

…などと泣き言を言っても始まりません。

グラグラとした映像の中で
写真家と編集者と造本家のこの三人の間に、
さっとわずかな緊張が走るのが分かりました。
カメラは回っています。
しかし三脚にまだ据えられていません。

船酔いしそうなグラグラの映像の中で、
大道さんが少しだけ困ったように
でも、ちょっぴり挑発に乗るように
こう言いました。

「…何を、どうすればいいのかな」

編集者・神林豊さんは「よし来た」とばかり
ニヤッと笑いました。
造本家・町口覚さんは神妙な面持ちで
煙草に火を点けました。
大道さんは、やれやれという顔をしながら
両手を組みました。

こうして「にっぽん劇場写真帖」
149点すべての撮影データ発掘計画が始まったのです。

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カメラは三脚に据えられずグラグラ

このグラグラ映像は
ちゃんと映画本編で出てきます。
通常、こんな不安定な映像は
「使えない素材カット」として
編集段階で切り落とされます。
しかし、これは唯一無二の映像でした。

三者三様のスイッチが入る
決定的な瞬間を記録したものだったからです。
ドラマの撮影ではありませんから
「…すみません、今、三脚にカメラ固定しますんで
みなさん、さっきの会話をもう一度」と
言えるようなものではありませんでした。

三脚に据えられていない
グラグラした映像であろうが何であろうが
そんなことはどうでもいいのです。
この時リアルにカメラが回っていたことが
僕にとってはとても重要なことでした。
だからこの時の映像は
映画の序盤でプロジェクト始動の
決定的瞬間として
登場してきます。

「…何を、どうすればいいのか分からないからさ」

「じゃあまず機材から」と神林さん。

「機材は、ある程度の見当はつく。
ま、絶対間違えないかどうか分からないけど」

大道さんは、ちょっぴり面白がっていました。
そして自分から言い出したのです。

「例えば…ヨコスカ(シリーズ)だったら…」

「はいはい、ヨコスカだったら?」

編集者と造本家はもうすっかり前のめりです。

「ミノルタSR-1」

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大道さんの恐るべき記憶力

大道さんが、実は恐るべき記憶力の持ち主で
このあとその超人的な力を
存分に発揮することになろうとは…
この時、誰も(編集者も造本家も、僕も)
思っていませんでした。

(いや、そんなこと言われても
50年前のことなんていちいち覚えていないよ)

そう軽くあしらわれるだろうと
予想していたのですが
その予想はあっさりと、
そしてはっきりと覆されたのです。

大道さんは、実は…覚えていたのです。

機材も。
場所も。
被写体も。
その時、横に誰と誰がいたのかも。
シャッターを切った時に
誰から何をどう言われたのかも。
そのあと何が起きたのかも。
覚えていたのです。
50年前に撮影した
149点の写真について。

その物語は
日本の最も熱い季節
激動の1968年を起点とした
演劇・美術・写真を巡る
語られたことのないポップアートの生々しい証言でした。

うわぁ…
これは、とんでもないことになってきた。

僕は興奮していました。
そして、瞬時に考えたのです。

この映画は、過去と未来が交差する物語になるそ。
覚悟しなくちゃな、と。

(写真:本編映像より)

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